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ゾルゲを黙殺したスターリン

スターリン 1879-1953
リヒャルト・ゾルゲ Richard Sorge 1895-1944

NHKのドキュメンタリー「国際スパイ・ゾルゲの真相」、篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ(2003年)」・・・・・

第二次大戦がはじまるすこし前、ゾルゲは東京で情報収集にはげんでいた。そこで、ヒトラーのソ連奇襲作戦をいち早く掴み、それをスターリンに知らせる。ところがスターリンはこの情報を無視した。理由は、いろいろ。

まず・・・当時、必要物資をソ連経由で補給する恩恵にあずかっていたナチス・ドイツが、まさかすぐにもソ連に攻め込んでくるとはスターリンはおもわなかった。

さらにゾルゲは、父親がドイツ人石油技師、母親がロシア人で、アゼルバイジャンのバクー生まれ。そののちはほとんどドイツで生活をしている。そればかりか、情報収集のために東京のドイツ大使館に懐深く入り込んでいた。

だからスターリンが、ゾルゲを二重スパイとして警戒していたとしてもちっともふしぎではない。このときスターリンは、「ソ連とドイツを分断するためのイギリスの策略」と、ゾルゲ情報を判断している。

ところがじっさいにヒトラーが奇襲攻撃をかけてきたので、スターリンはゾルゲ情報の正確さを認めないわけにはいかなくなる。そこでスターリンはゾルゲにあらたな使命を課した − この急場に日本がシベリアに侵攻してこないか?

それにたいしてゾルゲの返答は、「日本はインドシナへ侵攻」。スターリンは極東の軍隊をドイツ軍との戦いにまわすことができ、それが戦況逆転、ソ連軍の勝利へとつながっていく。

このように、ゾルゲおよび日本が、独ソ戦に重要なカギをにぎっていたのにはおどろく。

ところが、ソ連政府にたいしてはかりしれない貢献をしたゾルゲが日本の官憲にスパイ容疑で逮捕されたとき、ソ連政府は「そんなヒト知らん」を通し、外交交渉にものらなかった。それどころか、、、ゾルゲの妻エカテリーナ・アレクサンドロブナ(カーチャ)をも捕らえ強制収容所に送る。

エカテリーナ・ アレクサンドロブナはそのまま強制収容所で死亡。ゾルゲは巣鴨拘置所で1944年に刑死。ミヒャエル・ゾルゲとエカテリーナ・アレクサンドロブナがソ連で名誉回復され、「国民英雄」となったのは、そののち20年たったフルシチョフ時代の1964年のこと。

こうしてみてくると、スターリンは、ゾルゲの存在を無視したというよりむしろ抹殺したかった、、とかんがえたほうがシゼン。ナゼ??スターリンのニンゲン不信?スパイは無視するのが定石?(バレバレでも?)そういうのもあるかもしれない。でもちょっとまって、、、

ロシア史は、ロシアに攻め込んできた外敵たちを追っ払った英雄たちによってなりたっている。

250年にもわたるモンゴル・タタール支配の時代・・・・・アレクサンドル・ネフスキー(1220-63 ?)はポーランド、リトヴィアまで攻め込んだドイツ軍をネヴァ川で撃退。ドミトリー・ドンスコイ(1350-89)と聖職者セルゲイ・ラーダニシュスキー(1321-91 ?)のふたり組は、モンゴル・タタールに対する勝利の先鞭をつけた。

モンゴル・タタールとの戦いに終止符が打たれたころ、それをさらにダメ押しをしたイワン雷帝(1530-84)はロシア最初の皇帝になった。ドミトリー・ミハイロヴィッチ・パジャールスキー(1578-1642)とミーニン(?-1616)組は、モスクワまで攻め込んできたポーランド軍を撃退。1812年に将軍クトゥーゾフ(1745-1813)がナポレオンを追っ払ったのも有名。

こういう歴史的土壌と認識があるところで、「独ソ戦の英雄はスターリン」であってしかるべきで、ゾルゲがヒトラー侵攻を事前に知らせてきたこと、スターリンがそれを無視したこと、そんなことはだれも知らないほうが、スターリンにとっては都合がイイにきまってる。どう?

(2004.08.24.)

かんれんサイト

ゾルゲを取り巻く主要関係者について(スパイ・ゾルゲ公式サイト)
http://www.spy-sorge.com/data/dta_03.html

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