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大黒屋光太夫&北槎聞略

江戸時代、伊勢の船頭大黒屋光太夫(1751-1828)は海でおおしけにあい、ロシアに流れつきました。そののち帰国の許可をえるためにサンクト・ペテルブルグまで行き、女帝エカテリーナ(1729-96)に謁見しています(1791年)。

無事帰国を果たした光太夫が、ロシアでの出来事を語り、それを桂川甫周が記録したものが『北槎聞略』です。

大黒屋光太夫が帰国できた背景には、当時ロシアが日本に接近しようとしていたという政治的なながれがありました。光太夫の人間性はさておき、時代が光太夫の運命を手助けをしたというのもジジツです。

それにしても、『北槎聞略』には書かれていないことのほうが多い。そもそも大黒屋光太夫がロシアでの出来事を幕府の役人に語ったのは、今ならさしずめ警察での取り調べです。当時日本は渡航厳禁だったので、「なぜ禁を破って海外にいたのか」「政府としてその者をどのように処遇するか」をまず明らかにしなくてはならなかったでしょう。

もちろんじぶんの不利になるようなことを光太夫が述べるはずはありません。執筆した桂川甫周にしても書き留める内容をえらんだとおもう。じっさい光太夫は、「最初から最後まで、ただただ帰国のために奔走していた」の一点ばりでした。

でも、10年ちかくも異郷にいれば、一私人としていろんなことがあったはず。帰らないという(帰れない)選択肢もなかったわけではないし、帰らない(帰れない)ならどうするかとか、男と女のことだってまったくなかったとかんがえるのはちょっとムズカシイ。(第二次大戦時のシベリア帰還兵にだって、男と女のつら〜い別れがあったとか・・。)

ロシア人と日本人、ロシア文化と日本文化、いいこともあればボヤキもやまほどあったにちがいありません。 しかしそういうことは、『北槎聞略』にはほとんど書かれていない。

ロシアを誉めそやしたり、ロシアにいたあいだに知りえた世界事情(たとえばフランス革命のこととか)をぺらぺら喋ったり、ましてやすごくたのしかった〜なんてべらべらやったら、それこそ今後の身の保障がなくなるというものです。

だけどぉ〜〜〜、もっとおもしろいはなしを聞きたかったなぁ。

(2002.04.25.)(2002.08.29. 見直し)(2005.01.05. 見回り)

かんれんファイル

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