EKAKINOKI

オクジャワ頌歌

Булат Окуджава, Bulat Okudzhava(1924-97)

Пока Земля ещё вертится... (Молитва)

ブラート・オクジャワは5年ほど前に亡くなった。どこか地方の体育館みたいなとこでやっていた最期のころのコンサートを、テレビ放映で見たことがある。歌の合間に、ロシアの現状・生活についてどうおもうかと聴衆が質問する。オクジャワは、まるで小部屋のなかで友人と膝でも寄せ合ってでもいるかのようにかぼそい声で(というよりそれ以上の声を出す気がなかった?)話していた。「賢者オクジャワ」がなにをしゃべるか、聴衆はかたずを飲んでいる。

「でも、ボクはもうつかれてるのよ。どうのこうのって、もうなにもないなぁ。でも、、ロシアの道をひらくのは、たいそうな肩書きや学位とかじゃないくて、もっと『現実的な力』なんだとはおもう。」

Bulat Okuzhava Bulat Okuzhava

ロシアで買ったオクジャワのカセット

オクジャワ、ヴィソツキー、アッラ・プガチョワ・・・1960年代、1970年代にブレイクしたソ連時代の人気歌手のなかでも、オクジャワはカクベツな存在だった。オクジャワはプロの歌手ではない。何気なく歌っているうちに、ペテルブルグのだれかのアパートで演奏会を催し、かれの演奏テープがひとからひとへと流布されていく。

ロシア人が酒の席で口ずさむ伝統的なリリカル・ソングがポップにかわったのも、ロシア語の学ぶ外国人にとって、ロシア民謡とトナカイの世界が現実のソ連社会の色と匂いにかわったのも、まさにオクジャワからだったとおもう。

そもそもオクジャワの歌は歌いやすい。オクジャワ自身がプロの歌手でなかったせいか、とんでもない高い音や低い音はつかっていない。だから、だれにでも歌える。しかも歌詞は身の回りのごくありふれた情景だ。

ボクがこどものころから親しんでいるモスクワの地下鉄・・・「エスカレーターでは左側に並んでください。左側に並んでください。右側は急ぐひとたちのためにあけておいてください。」・・・ボクが慣れ親しんだ歌・・・神聖かつ犯すべからざるキソク〜!

お題目のように唱えられるスローガンなんて、ほんとうはだれも信じちゃいない。信じちゃいないけど、こどものころから聞いているスローガンは、もはや情景の一部だ。たぶん自嘲かもしれないし、ロシア人特有のユーモアかもしれない。はっきりと言えるのは、日常風景にロシア人が感じていた哀愁、記憶、感傷、内なる叫びのすべてを、オクジャワはあるがままに表現した。

オクジャワの歌が、人生に対してどれだけポジティヴなのかはわからない。ただ聴いているだけでは、あまりにもの哀しい部分もある。だけど一緒になって歌うとそうでもない。

「人生になにもいいことがなかったヒトだから」・・とか言うひともいる。たしかにオクジャワは、戦争とか兵隊とか、あまりにもイヤなものを見すぎたかもしれない。だけど、オクジャワの歌に哀しみを感じるとすれば、それはオクジャワ本人の哀しみというより、ソ連社会全体に流れていた哀しみにちがいない。

(2002.08.09.)(2004.11.20. 見回り)(2007.01.01. 見回り)

オクジャワの写真集(МОСКОВСКИЕ ПИСАТЕЛИ)
http://mp.urbannet.ru/TVOR-P/o/okudzava/o..

かんれんファイル

■ アッラ・プガチョワ
■ ヴィソツキー

「オクジャワ」という表記について・・

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ロシア語で発音すると・・「ブラト・オクジャーヴァ(オクジャーワ)」だろ、、?検索結果の通り「ブラート・オクジャワ」がダントツ・・・さからうのはやめました。(オクジャワは、たしかグルジア出身・・・もしかするとグルジア語では「ブラート・オクジャワ」?)

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