EKAKINOKI

過激なコト書くひと書かないひと

アレクサンドル・セルギエヴィッチ・プーシキン 1799-1837

プーシキンの劇詩・物語詩プーシキンの純文学作品『エヴゲーニー・オネーギン』の印象があまりにも強烈なこともあり、プーシキンの政治的な言動なんて、言われているほど過激なもんじゃないだろうぐらいにおもっていたのですが・・・プーシキンの劇詩・物語詩をいくつかまとめて読んでみて、そんな先入観はみごとにひっくり返されました。

※ プーシキン全集1・全集3(河出書房新社)の物語詩から・・『ルスラーンとリュドミーラ(1817-20)』『コーカサスの捕虜(1822-21)』『天使ガブリエルの歌(1821)』の3作、劇詩から・・『ボリース・ゴドゥノーフ(1824-26)』。これらの作品、よく映画、演劇、オペラなどの題目になったりしています。グリンカ(1804-57)の『ルスラーンとリュドミーラ』、ムソルグスキー(1839-81)の『ボリース・ゴドゥノーフ』・・・

プーシキンのいわゆる反動的な詩というのは、たとえば帝政や農奴制にたいする反対をほめのかしている詩などですが、プーシキンがまだそれほど有名じゃないころから、プーシキンのいくつかの詩は、ウルトラ先進的な当時のひとびとに愛唱されていました。

どうもプーシキンというひとは、おもいついたことをスグに書いちゃったみたい。書くか書かないか、なんてことにはほとんど逡巡しなかった。書くだけ書く。それであとから、やっぱヤバイなぁって燃やしちゃうとか(証拠隠滅)。でもたいがいは、すでにだれかが書き写したとか、あるいはプーシキン本人がスラスラと暗唱できた!

フツウの人は、ヤバイとおもうことは、コワイから書かない。しかし書くか書かないかというのは・・・「状況を判断したうえで書くか書かないかを決める」というのではなくて、たぶん性格なんじゃないかなぁ、、、プーシキンをみる目が、ちょっとかわりました。

プーシキン人生おぼえがき

1820−24年・・・ ウクライナ、モルダヴィア、コーカサスなどにいた南方追放時代。でも、まだ比較的自由だった。

1824−26年・・・ 亡命計画がばれ、ミハイロフスコエ村(サンクト・ペテルブルグから300 km)に蟄居。

1825年12月のデカブリスト蜂起後・・・ プーシキンは皇帝ニコライ1世に言いふくめられて和解。モスクワに帰ることを許される。

そして・・・ 結婚、決闘による死。ちなみに、プーシキン代表作のひとつ『エヴゲーニー・オネーギン』が完成したのは1830年。

かんれんファイル

■ プーシキン作『ボリース・ゴドゥノーフ』の背景
■ アレクサンドル1世と映画 "会議は踊る"
■ プーシキンの文学上の師とされるジュコフスキーについて

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