EKAKINOKI

移動派の意味?

BBSより

移動派に対する誤解について 山崎寛 2006.06.25.

レーピンに代表される「移動派」グループの目的は、絵画後進国であったロシアからまっとうな画家を作り出すことで した。ロシアはずっと、絵画輸入国、画家雇用国であって輸出国ではなかったのです。美術教育に問題があることを認識していたレーピン達は、若い画家に対す る専門教育を確立するために活動を開始しますが、うまくいくません。紆余曲折をへて確立された美術教育法が「移動派」の本質であると捉えなければ、現在に 至るロシアの美術教育を総括することはできません。中国も、この教育システムを踏襲しており、現在でもそれは変わっていません。ただ、ロシアからソビエト に移行したために、絵画テーマが「資本主義リアリズム」ではなく「社会主義リアリズム」に強制的に変化させられたのであって、絵画創作という現実的作業方法は変化していません。デッサン、彩色、油彩画等、全てロシア現地で調達可能な材料で作画することを目指した、というのが「移動派」の中身といえるでしょ う。

えかきのき 2006.06.25.

「紆余曲折をへて確立された美術教育法」というのはどういうのでしょう?

えかきのき 2006.07.01.

とりあえず推測ですが(質問に対する返事がないので)・・・・・

山崎さんは「だれにでもわかりやすいリアリズム」というのを念頭に置かれているのでしょうか?

だとすると・・・・・

まず、「ソ連時代にそういう美術教育がされていたか」ということになりますが、単純に言って、、「そういうのはなかった」。「そういうのを逸脱したのを描くとヤバイ」みたいな政治的抑圧はありました。だからアーティストは、そういう政治的圧力をあらかじめ念頭に置いて、その枠内でできるかぎり自由な表現を追い求めました。もちろんこれは美術にかぎったことではありません。

また「ロシア・リアリズム」という言葉がありますが、あれもかなりいいかげんな表現だとおみます。「権力を逆撫でするような作品を公にはしない(つまりアブストラクトとか・・)=社会主義リアリズム」?じっさいには、ソ連時代の芸術表現方法はじつに多様です。

いずれにしても、そういう政治的圧力と移動派が目指したものとは、あきらかに別モノ。

移動派はまずアンチ・アカデミズムです。戸外にとび出してロシアの大地に目を向けた。そして大衆に働きかけ、そこから新しい芸術が生まれてくることを期待した。言ってみればロシア美術における爆発でありあらたな探求であり、すくなくとも山崎さんがおっしゃられるような「美術後進国性を解消するため」というような戦略的なものではありません。

移動派にはさまざまな美術家、理論家が集まっていました。表現方法もさまざまです。中心にはカラムスコイのような画家がいましたし、クインジ、ヴァスニツォフのような画家もいました。べつにリアリズムにこだわってたわけじゃない。(絵など見たことがなかった1800年代後半の貧しいロシア民衆が理解できる作品がかぎられていたのは理解に難くありません。)

それと・・・・・

山崎さんのおはなしの出発点になっている「移動派が勃興してきたころのロシアは美術後進国」というとらえ方ですが、「1870年代の日本に文化なんてなかった」というのとおなじで、かなり暴力的な発言だとおもいます。

ロシア美術は西洋美術の影響をつねに受けてきました。19世紀を通して自国民による自国民の奴隷制が存在していた国における保守性、というのもあります。そういうロシアの風土、気候による「ロシア美術の特徴」は、いまに至るまであります。けっしてこれらを否定するわけではありません。

しかし、イコンの例をあげるまでもなく、そういう特質を抱かえながらもロシア文化はロシア独自の発展を遂げてきたのであり、それは「後進性」とはまったく別モノです。

さて・・・・・

移動派がロシア美術に多くのものを残し、ロシア美術の土壌を豊かにしたのは疑うべくもありませんが、「移動派がなにを残したか」を具体的に詮索するのはむずかしいような気がします。

移動派が具体的に残したものをしいてあげるとすれば、西洋美術の影響を色濃く受けながらも、じぶんたち独自の表現方法をロシアの大地に見出そうとしたこと、つまりロシア・フォークロアの世界をロシア美術に反映させたこと、ではないでしょうか?これはいまも多くのロシア人作家にみとめられるとおもいます。

移動派のなかでも長生きをしたひとたちはけっきょくアカデミズムの牙城に帰ったので、そういう意味ではたしかにそののちのロシア美術に具体的に影響を与えた、というのもありますが:))

(2006.07.01.)

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