EKAKINOKI

芸術世界と移動展派

Мир Искусства & Передвижники

19C後半〜20C初頭のロシア・アートのおはなしです。

ディアギレフ(1872-1929)というと、バレエ・演劇の世界、あるいは世紀末ものにはかならず登場する超有名人ですが、ディアギレフが発行していた雑誌(1898-1905)に「芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)」というのがありました。

その雑誌の知名度があまりに高く、「芸術世界」というとイコールその雑誌のことかとおもったりしますが、じつは「芸術世界」というアーティストのグループは、それ以前にもそれ以後にも存在していました。雑誌「芸術世界」は、一連の流れのなかで、その最盛期を象徴する出来事だった、ですね。

「アーティストがどのような表現をしようと、どうたらこうたら言う必要はない。それこそがまさにアート。アーティストの自由な表現こそ尊重されるべきだ。」とかれらは考え、「芸術世界」は当時のロシア前衛芸術の担い手でした。ヴェンヤ、カローヴィン、ヴルーベリ・・・背後には、ロシアの名だたるメセナ、マーモントフやティエニシェヴァなどがいてかれらを支えていました。

「移動展派(ピリドゥヴィージニキ)」もやはりおなじような時期の、ロシア・アートを代表する流れのひとつです。一部のひとたちにしかわからないような絵を描くよりも、だれにでもわかるようなテーマを、だれにでもにわかるように描きたいとおもっていたひとたちです。もちろんリアリズム。レーピンなんかもそのひとりです。 描いただけではなくて、各地をまわって展示会をし、いろんなひとに見てもらおうと。で、どうだったかというと、、じっさいには「だれでも」というより、学校の先生とか、各地のインテリ層に与えた影響がおおきかったみたいです。

このふたつのながれはある意味、対立しています。「芸術世界」のほうは言ってみれば「芸術至上主義」・・・「わかるひとにわかればイイ」です。だから当然、「わからないひとはほっとけ」というか、「だれもが芸術を理解できるわけではない」。「移動展派」はもうすこし社会的で、「芸術に接する機会がないからわからない」とか、あるいは「だれにでもわかるような絵を描く努力を画家がしていない」とか・・・そして積極的に庶民のなかに入っていきました。

「芸術世界」のほうはヨーロッパ文化とダイレクトに連動していた潮流ですから、なんとなく想像がつきやすいですね。ディアギレフがパリにロシアバレエのブームを引き起こしたり、それがひいてはロシア文化ブームになったり、かれらの展示会にはフランスの象徴主義派画家モローなどが参加していたりとか・・・「芸術世界」については、本もたくさんでています。

「移動展派」のほうは、「芸術世界」よりもじっさいはもっと時代を遡るうごきで、こちらは、創造活動のなかでロシア文化をどのように消化していくかというモンダイと、がっぷりヨツに組んでいます。「移動展派」の名称そのものはけっこう知られているかもしれませんが、きわめてインターナショナルだった「芸術世界」とくらべると、テーマとしてとりあげられる機会ははるかに少ないのではないでしょうか。そこでこの「移動展派」について、シツモ〜〜ン!

「移動展派」のリアリズム絵画って、いったいなんだったの?「わかりやすいテーマをはっきりと描く」ということ?それだけのこと?だれにでもわかるような話とか慣れ親しんだ日常とか??

う〜ん、、でもなんかそれだけではピンとこないんですよねぇ。。だって技法がかなりクラシックでしょ?「だれにでもわかりやすく」なら、技法ももうちょっとくだけたもんでよかったんじゃない?

当時のロシア庶民がどんなにひどい生活をしていたとかをかんがえると・・・そしてそういう現実を身近に目にしていた画家たちが、きれいなテーブルクロスと果物とか、純粋に芸術的な模索とかにやりきれなさを感じていたとか、もっと現実の生活に肉迫したものを描きたいおもったとか・・・そんなことはあったかもしれません。それは、わからないことはない。

わからないことはないけれど、そういう歴史的事実はべつとして、「どんなアートがわかりやすくて」「どんなアートがわかりにくいのか」・・・そもそもこれからしてタンジュンではありませんよね。さらに、「なにを言いたいか(制作動機)」のわかりやすさと、「どういうふうに表現するか(表現方法)」のわかりやすさと、その両方があってはじめて「わかりやすい」ってことになる!

もちろんそんなことは、、「移動展派」のプロフェッショナルなアーティストたちには明白だったはず。ならナゼああいうクラシックでアカデミックな描き方、なの?なにか、、ギャップを感じちゃう。ダンテだって、クラシックな言葉はつかわなかったですよ。

もしかするとかれらのほんとうの目的は、芸術家としての目的は、「わかりやすいテーマをはっきりと描く」というのとはチガウところにあったんじゃない?

表面的な解釈にまどわされていて、「移動展派」のアーティストたちが表現しようとしていたほんとうのナニモノカに気づいていないだけなのかもしれない。もしそうなら、じゃ、そのナニモノカって、いったいナニ?そののちのロシア美術にどういうふうにつながっているの?

モスクワのトレチャコフ美術館に行くと、クラムスコイ、スーリコフ、ピロフ、ヴァスィニツォフ、プキリョフ、、、好き嫌いはべつにして、ドデ〜ンとあちこちに待ち構えている「移動展派」の作品はイヤでも頭に残りますネ・・・。「移動展派」というのは、、「芸術世界」というロシア・アートのながれ以上に、ナ〜ゾナゾ!

(2004.06.08.)

※ どちらのグループにも顔をだしているアーティストもいますし、芸術世界を経済的に支持していたマーモントフが目をかけていたアーティストには移動展派もいます。社会的にそれほどはっきり相対していたというのではないみたい。

※ ファイル中の画像: (上) ディアギレフ率いるバレエ・リュスで舞台装飾を担当したレオン・バクストによる「牧神」衣装デザイン(1912/ワズワース・アテネウム美術館)。踊ったのはワツラフ・ニジンスキー。 (下) ヴァスィニツォフ作「アリョーヌシカ(1881)」- トレチャコフ美術館蔵

かんれんサイト

ディアギレフ(ロシア語)
http://www.diaghilev.perm.ru/rierih/2.htm
「芸術世界」の歴史的アウトラインとディアギレフ、レーリフの写真・・

かんれんファイル

■ モローにふれているファイル
■ マーモントフの芸術家村

BBSより

ヤコブレヴィッチさん 2004.07.05. (抜粋)

なにをもって「平易」とするか、という問題はすごく奥深いですよね・・・。それこそ哲学的というか・・・。「平易」って、社会的な側面もあったりするのかなぁとか思いながら。でも、象徴化された絵画はヤコブにはわかりづらいです;;。マンガが一番わかりやすいかも・・デス笑。

ロシア語の方の「芸術世界」リンクはなかなか見応えがありました!イーゴリ公の舞台装置とかに興味シンシンでした。

実は、ヤコブレヴィッチは、挿絵画家イヴァン・ビリービンにゾッコンです。それで、彼を調べていくと芸術世界とかが出てくるので、(そしてヴァスネツォフが移動展覧会派だったということもあって)その辺りの時代に興味があるのです☆今でも、ペテルとかで普通に売られていますし、子どもの頃から、こんなレヴェルの高い絵本がたくさんある環境にあるなんてうらやましい・・・と。

→ ビリービン 1920−30年代のロシア絵本

えかきのき 2004.07.07.

世界芸術にしても移動展派にしても、中心にいたのはいずれもアカデミーと関係があるひとたち。フリーで貧しくってって、ゴッホみたいなタイプを想像すると、ちょっとちがうよネ。当時のロシアには名だたる芸術パトロンもいたし、、、

いっぽうで平民出身の貧しい画家たちの出現てのもあって、そういうのが移動派をプッシュしたってのもあった。万年栄養不良だったかれらは肺炎で長生きしなかったけど。そして長生きした移動派の画家たちはアカデミズムの牙城に帰ってった!

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