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モスクワとペテルブルクの紋章

モスクワの紋章(下左)は聖ゲオルギー(=ジョージ)。サンクト・ペテルブルグの紋章(下右)は、王しゃくに、海の錨と川の錨をかさねたもの。

ゲオルギー・・・

竜を退治して王女を助け、ひとびとをキリスト教に帰依させたことで知られる聖人騎士。

この聖ゲオルギーのイラスト↓、ちょっと笑える!
http://www.tema.ru/crea-gif/moscow.html
(Артемий Лебедев)

250年にわたるモンゴル・タタールの支配侵略という歴史をもつロシアは、異民族を追っ払うための数々の戦い、そしてロシアの英雄たちに、信仰と武勇を兼ね備えた聖ゲオルギーの力があらわれんことを願ったとしても、フシギではない。

ロシアではそんなふうにごく自然にゲオルギー信仰がはぐくまれた・・・いままでなんとなくそうおもっていた。ところがつぎのリンク先では・・・じっさいにユーリー(=ゲオルギー)の名をもつ英雄がいて、聖ゲオルギー信仰につながったと言っている。

ユーリー・ダルゴルーキー(モスクワ創設者)、ユーリー・フセヴァラドヴィッチ(タタール戦の英雄のひとり)、ユーリー・ダニーロヴィッチ(最初のモスクワ大公)、、、

※ ユーリーはゲオルギーがロシア語化したもので、おなじなまえ・・・ユーリーの「名の日」もゲオルギーとおなじ1月21日。

ロシアはタタールを追い払ったのだから、だれが追い払ったにせよ「ゲオルギーの再来〜」「聖ゲオルギー様々」でおかしくない。しかし、「あのユーリー」、と具体的に指摘されると、そのユーリーの作為もあったんじゃないか、な〜んておもっちゃう。

ヨーロッパなどでも、守護聖人はかならずしも古来からずっとおなじではなく、中世にいっぺん決め直したりしている。その過程で、政治的な作為が働く場合もある。たとえば、ビザンティン帝国に対抗意識をもっていたヴェネツィアは、それまでの守護聖人サン・テオドールがギリシャ人だったために、サン・マルコにかえた。

聖ゲオルギーのイコン写真と解説(ロシア語)
http://www.pobeda.ru/molitva/voini_sviatie/pobed..

ともあれ「ゲオルギー」は、ロシアの大地を庇護する聖人とみなされ、モスクワのみならず、ロシア全体のシンボルになった。

現在、あるいは帝政時代のロシアの紋章・・・「双頭の鷲」のまんなかにも、竜を退治する聖ゲオルギーがちゃんとはいっている →

王しゃくに海と川の錨・・・

サンクト・ペテルブルグのシンボルは、ピョートル大帝のころに作られたもので、さいしょは軍隊の紋章だった。

そもそもサンクト・ペテルブルグを創設したのはピョートルだから、比較的新しいシンボルでデザインもシンプルだけど、これはこれで、ピョートル治世時代の意気が感じられたりして、、

(2005.01.28.)

かんれんファイル

■ 聖ゲオルギーについて
■ ロシアおさわがせ紳士録
■ ロシア人のパスポート

かんれんリンク

1781年〜ソ連までのロシア紋章の変遷(Два века)
http://www.dvaveka.pp.ru/Nomer2/soboleva.htm

中世イタリア都市国家の旗(ヨーロッパの歴史風景HP/イタリアの四大海洋国家)
http://www.europe-z2.com/chusei/ad1075it_x.html

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