EKAKINOKI

シャガールとブルガーコフは似てる?

Marc Chagall, 1887-1985 / Mikhail Bulgakov, 1891-1940

『メトロポリタン美術館展/ピカソとエコル・ド・パリ(Bunkamura/-2003.3.9)』に展示されていたシャガールの『恋人たち』・・・宙を舞って喜びを表現するアツアツのふたり・・・

『恋人シリーズ』のほかの作品が比較的明るい色彩で描かれているのにくらべて、黒や緑が印象的なこの作品は、なにかどこかにいざなわれそう・・・

恋人たちがいる「夜の世界」は「時間のない世界」への入り口・・・窓から見える赤や黄色でえがかれた町は、「魔術が支配する世界」・・・

この作品を前にして、ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』を思い起こしていました。

ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』に登場する巨匠・・・イエスを処刑したローマ帝国ユダヤ総督ピラトのことを小説にし、ソ連政府から反体制派のレッテルをはられてこっぴどい目に合います。そこに悪魔一行が現われ、巨匠と人妻マルガリータの恋の手助けをするのです。

ソ連社会をひっちゃかめっちゃかかきまわす悪魔たち。巨匠に恋した人妻マルガリータは素っ裸で空を飛んでしまうし、バカでかい黒ネコがでてきてニンゲンの言葉をはなしたり、ローマ時代のピラトやマタイがじっさいにでてきたり・・・

そんな時間軸も空間軸もない「ロシア的な夢想」、「やおよろず神的な世界」・・・シャガールの『恋人たち』とブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』は、視覚的イメージがとてもよく似ているのです。まるで、『巨匠とマルガリータ』のためにシャガールが『恋人たち』を描いたみたい、、!

Bulgakov's Master and Margarita(挿し絵 by Kevin Moss, Middlebury College)
http://cr.middlebury.edu/public/russian/Bulgakov...

マルク・シャガールとミハイル・ブルガーコフはほとんどおない年です。生まれた場所もベラルーシとキエフで、ともに帝政ロシアの中心ではなくて周辺地域。ブルガーコフの父親は神学者。ユダヤ人だったシャガールも宗教的な世界と強烈なコンタクトをもち、ふたりとも、現実世界以外の「もうひとつの世界」を強く意識していました。

でもこのふたりが影響を与え合っていた、なんてことはたぶんナイ。シャガールは、紆余曲折はあったけど、おもにフランスで制作活動に没頭していました。そればかりではなく、当時のロシアでは、シャガール作品を見る機会はほとんどなかったはずです。

いっぽうのブルガーコフは、反体制派とみなされ、作品発表の機会を与えられず、死ぬまでモスクワに閉じ込められたままでした。

そもそもブルガーコフが『巨匠とマルガリータ』を執筆したのは1929−40年で、シャガールが一連の『恋人シリーズ』を描いたのは、おもにベラ・ローゼンフェルトと結婚をした1915年前後のことです。(でもロシアで『巨匠とマルガリータ』が解禁になったのは1966年。)

ブルガーコフはもしかするとシャガールの仕事を知っていたかもしれない。たまたまロシアに戻っていたシャガールは、第一次世界大戦がはじまったために、1914−22年のあいだ、ロシアにとどまらざるをえなくなりました。この時期が、ブルガーコフが軍医をやめてモスクワに出てきた頃(1921)とすこし交叉しています。

しかしシャガールの『恋人シリーズ』とブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』のあいだにとくべつな接点はない、まったくべっこのもの、と考えるのがしぜん。それにしてもなんだってこんなに似てかんじられるのでしょう、、?!

シャガールは二度の戦争を体験し、そのたびに人生を翻弄されました。しかしシャガール作品の幻想的な風景にみる一抹のもの悲しさは、どこまでもロシア的で、生来のものです。またシャガールは、すくなくとも制作を続けることに迷いはなかった。

そしてブルガーコフは、発表の場を政府から奪われ、亡命の意志をスターリンに直訴しますが認められませんでした。それでもブルガーコフは書き続けた。『巨匠とマルガリータ』にはこんな一節があります・・・「『臆病』は人生で最大の罪だ。」

(2003.02.15.)

※ 下の写真は『巨匠とマルガリータ』の舞台にもなったチスティ・プルドィ周辺の建物。

かんれんファイル

■ ルガーノ美術館・シャガール展
■ ブルガーコフの「帰郷」にふれているファイル
■ ブルガーコフ「帰郷」のスターリン評価
■ 映画「巨匠とマルガリータ」
■ メトロポリタン美術館展(Bunkamura)

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