EKAKINOKI

パウストフスキー筆「風景画家ロマジン」訳

Nikolaj Romadin, 1903-1987

田舎の家、森の番小屋にはきまって、高い敷居があって、玄関は隙間だらけ。ひよこがピイピイと鳴いている。もうそのむこうには絵の世界がひろがっているとおもうと、わくわくしてくる。 一歩敷居をまたげば、ニレの老木と、滔々と流れる川にいたるハシバミの生い茂った小径。 洗ったばかりの洗濯物を天秤棒にぶらさげて、おんなたちが村にむかって歩いていく。

おゃ、このニレの老木は、顔見知りだ。そうだ、トレチャコフ美術館にあるロマジンの作品でいつもみている。 だがロマジンの作品は、ごくありふれた木をえがいた絵だったはずだ。

エチュード部分 / 1949年 / 個人所蔵

ロマジンの絵にはそういうところがある。 いつでも入っていかれる見なれた自然なのだが、いつもなにかしらあたらしい表情を投げかけてくる。 金縁の額という敷居をまたげば、すぐにもその世界に入っていかれる。

ロマジンをモスクワでつかまえるのは至難のわざだ。 キルジェニエツにいたかとおもえば、ヴォルガ河畔に。あるいは彼だけが知っているどこかの村か、 とても分け入ることができそうもない原生林のなか..。カストラマか、フヴァレンスクあたりの、 森のなかの番小屋か、 ヴォルガ川の埠頭で寝泊まりしている。

雪解けのキェルジェーニエツ / 1966年 / 個人所蔵

言葉数は少ないほうだ。鋭い眼光と、 ときおりみせる無邪気な笑みの背後に、彼独特の思索がみえかくれする。どこに行けば、たまげるぐらい太い霜柱があるのか、 ロシアでもっともおおきいモミの木がどこにあるのか、川に吹く風にはどんな色をつかうべきか、 雨降りの夜明けやたそがれ時には..、彼はすべて知っている。もしこのことを本に書いたら、どんな文学にも類をみない、 興味あるものとなるはずだ。

ロマジンは戸外で制作する。どんな天候だろうがへっちゃらだ。雪融けの沼沢地で、融けかけた雪が雨にまじっておしだされる。ブーツのなかは氷まじりの水であふれている。激しく吹き荒れる風が、描きかけの絵を奪い去ろうとする。そんななかで、ほかの季節とおなじようにいきいきと、「グシャグシャとした曇天の春」をえがきあげていく。陰鬱ですっきりしない日。石版のように重々しい雲..。

「嵐のあとのムギ畑」 / 1960年代 / 個人所蔵

仕事のあとに、簡素だが暖かい森の番小屋に戻ってくるのは、どんなに心地いいだろう。乾き切っていない、苔のむした屋根板の香り。ペチカからはまだ熱い灰のにおいがただよい、 年季のはいったサモワール(紅茶を飲むのにつかう)がかすかにコトコトいっている。つかい古されて欠けているコップ片手に、 「シギが今年もまたやって来た。」話のはしばしに、長い冬から目をさました春の訪れのことがでてくる。

私には、ロマジンがすごくしあわせな画家にみえる。あの森の番小屋での日々。森のなかをさまよって、それだけでもすばらしいのに、もっとも愛する仕事に没頭して、絵を描きあげる。これでしあわせでないはずがない。

ロマジンの絵は、自然と切ってもきりはなせない。ロマジンの絵のなかでは、自然が息をしている。作品をみていると、風に吹かれて凍えそうになる。春の川の寒さがからだのなかにまで入ってくる。雨が降っていてずぶぬれになってしまう。濃厚な針葉樹林からは松の香りが漂ってくる。

「森」と「秋」は、ロマジンの作品のなかでもとくにいい。

氷が融けて、キルジェニエツの森が膝まで水につかっている。北国のマツ林に、日暮れどきの低い光がさしこむ。薄暗い夜明けの林のみずみずしさ。まるで彫刻のような立派なモミの木。ロシアの原生林。これらすべてが、ロマジンの絵のなかで、じっさいに生きている。

「秋」の黄金色と深紅の照り返し。そのむこうには、淡青色の水面におおわれているかのような風景がひろがる。秋の湿原地の、もの淋しげで、澄んだ空気と静けさ。九月になればクモの巣がはって、一面白髪まじりなる。

※ コンスタンチン・パウストフスキー(1892ー1968)ソヴィエト時代の代表的小説家のひとり。ジャーナリスト出身で、童話なども数多く書いた。 以下、パウストフスキーが執筆した「ニコライ・ロマジン画集」(1962年版)より。

ロマジンかんれんファイル

■ ロマジンの風景画・・・
■ パウストフスキー筆「風景画家ロマジン」
■ パウストフスキー筆「ロマジンの白夜」

かんれんファイル

■ 森の番小屋

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