EKAKINOKI

貴族が画家に

GRITSAI, ALEKSEJ MIKHAILOVICH, 1914-98

1914年3月7日 ペテルブルグ生まれ 父親・祖父ともに数学者。

1918年、革命後の混乱のなかで食うものもなく疎開。

幼いころ、父のいとこ(建築家)がランプを絵に描いたのにひじょうに感銘を受けている。11才のころからレビタン、レーピン、シーシキン、アイヴァゾフスキーなどのコピーを描きはじめた。宗教的で、数カ国語に通じたおばあさんにずいぶん感化された。「心のなかに真実があれば、こわがるものはなにもない。」というのがこのおばあさんの信条。

こののち、グリツァイはペテルブルグ大学数学科をめざす。中学生のころ、すでに大学でも難度の高い問題を解いていたのはグリツァイのおかれていた環境からすれば不思議ではないかもしれない。だが貴族出身の数学少年は、ひじょうによい試験結果であったにもかかわらず、2度とも不合格になった。画家としての道を歩んだグリツァイはこのことを後年感謝している。

こののちかつてランプを描いた建築家の叔父と、ペテルブルグで第二次世界大戦まで一緒に暮らす。この台所・トイレ共有のアパートにムィリニコフが住んでいた。ムィリニコフのおばがまた、フランスでも勉強した画家で、そこにはたくさんのコピー画があり、グリツァイとムィリニコフはこれらを紙でおおっては、部分だけを見て作者のあてっこをしたりしている。

このころ、グリツァイの美術への傾向を見てとったおばあさんが、皇帝にプーシキン像を送った幼友達の彫刻家のところへグリツァイを送る。この彫刻家の紹介で当時の前衛芸術家を紹介され8ヶ月あまり学ぶが、グリツァイにはあまり心おどるところがなかった。

1932−39年、ペテルブルグ・レーピン記念芸術大学。

1940年 赤軍兵士として戦争に従軍。人里離れた荒野でしかも軍隊という、ひじょうにきびしい現実をこのときあじわう。唯一、自然の表情を観察することがグリツァイをなぐさめた。このあいだ、絵を描いていない。しかし、生きて帰ったら、風景画家になることを心に決めている。

戦争後、画家としての活動をはじめたとき、ながらくえがいていなかったグリツァイによい指針をあたえたのがシェルバコフだった。ふたりはおたがいに感化されつつ、こののちも写生・展示会とつねに行動をともにしている。

グリツァイは、とくに自然とのつながりが非常に強かったひとのようで、手に入った資料にも、不天候のときの魚釣りで船が転覆しそうになったときの話、自然破壊への憂いなど、興味深いくだりが多々あります。

1948年よりペテルブルグ・レーピン記念芸術大学で教授。アカデミー会員。

かんれんファイル

■ シェルバコフ

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