EKAKINOKI

画家の社交性

アンドレイ・パトリキエフ

パトリキエフのアトリエはかつて芸術学校があったところで、ロフトのような場所を仕切って何人かのアーティストが共同で使用している。

ちっちゃなペチカがひとつ。ぶるるるるるるるるるるr。空き部屋にジャガイモがどびゃ〜〜〜〜〜〜っと山のようにころがっていたりして、たまにおとずれるひとにとっては、それがまるでなにかインスタレーションのように美しくみえたりする。。 ははは、、、

静けさ (70 x 90 cm)・・・ 山にかこまれたどこか城下町の夜のようにも、映画「ET」のシーンのようにもみえるけど、、「昼間だよ、ロシアにはこういう昼間があるんだ。」ってさ。

「まるで乞食同然の暮らしさ。」とパトリキエフがぼやく。「ゴッホ?俺たちより金はあったさ、、」 ・・・説得力アル〜。たしかにお金はなく、アートしかみていない、、そんなパトリキエフの姿はほかの人にはクレイジーに映るみたい。

だけどそもそも「クレイジーじゃない」ってどういうこと??みんなとおなじようなことをしてるってこと?だれにでもわかるようなことをしてるってこと?

たぶん一般的に言われている「クレージー」には二種類あって、そのひとつがパトリキエフみたいにあることに夢中になっててほかのこと、とくにフツウのひとがおかしえないような粗忽をするひとたち。にしても程度の差があって、そのなかにはまったく無害ともいえるひとたちもいれば、ほかのひとが考えられないような粗野なこと、乱暴なこと、無神経なことをしたりするひとたちもたしかにいるにはいる。

だけどこのひとたちは基本的に無神経なのではなくてそういうところにアタマがいってないだけのはなし。それに対してほんとうに無神経なひともいる。そういうひとたちも「クレージー」と言われているとおもうのだけど、しかしそれはただたんに無神経なだけとおもう。他人のことをおもんぱかる繊細さを持ち合わせていないだけ。

こういうのはなにもアーティストにかぎったはなしではなく、どんな世界にもある。アーティストだからってとくにキの字ってわけでもないし、キの字のアーティストがかならずしもすばらしい作品を産み出すともかぎらない。そしてたいがいのアーティストは野心、スケベ心、ミーハー、ケチケチなど、最低限の俗物性はキチンともちあわせている。

(2004.04.08. 見直し)(2004.08.20. 見直し)(2005.10.08. 見回り)

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