EKAKINOKI

ロシア人が描く平面性

ウラディーミル・アルロフ

ロシア人の作品に、ときとして、欧米人の立体感覚とはちがう『平面性』をみることがある。これって「和」の感覚に近い?ちょっとおもしろい一節を見つけました。以下、「ロシアの神々と民間信仰」(白石治朗/彩流社)より引用です。

砂漠と遊牧民の宗教であるキリスト教の世界観は、森と農業が支配的要素であったロシアでは、何か馴染めないものがあった。

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砂漠の民が、紺碧の天空を睨んで砂の海を渡っていたとき、ロシア人は、もっぱら体を二つに折って森を切り開き、土地を耕していた。しかも、長い冬の間、北ロシアでは暗雲が低く垂れこめ、空がない。彼らの空間意識は横への広がりはもつが、垂直的ではない。それは、ロシアの教会建築の内部空間を見れば、一目瞭然である。砂漠の民が天からの啓示に戦慄的な喜びを感じたのにたいして(個人的意識)、ロシアの農民は、いつも包まれていたいという小児的願望を有していた(共同体意識)。

(引用おわり)

アルロフ作『群れ』 / 油彩・画布 / 60 x 82 cm

あるとき、日本を訪問していたイタリア人アーティストが日本人の『平面性』についてこんなことを言っていました・・・

「上野(美術館)とかでよーく見てみたけど、遠近法はなくても影はあるでしょ?影がなきゃモノは描けないよ。」「えっ・・!?影がなくても基本的な遠近法をつかえば描けるじゃん。影がないんだよ影が、日本の絵には・・・」

イタリア人がなにを見ているかを象徴するようなコメントでした。(ぎゃくに言うと現代のイタリア人にとっては『陰影=遠近法』っていうか・・陰影のほうが重要で、それが遠近法に置き換わってるんじゃない?)

ロシア人あるいは欧米人が世界を平面的に描いても、たいがい基本的なところはずぶとい立体感覚で支配されてる。モランディ(1890-1964)の静物画などはどう?ちょっと見はすごく日本的に見えたりするのですが、なっかなか〜〜、、、このひとは『ひときわスグレタ欧米人』なのだとおもいます。

カステル・スフォルツェスコ美術館(Milano)のモランディ作品

それにくらべると、アルロフ作品などはじつにスンナリと平面的な世界の美しさが表現されてるとおもうのです。

アルロフがあるときおもしろいことを言いました。「構成だの遠近感だの色彩だの、もうどうでもいいんだ。こうやってザルに花や草をいれてね、ほらこうやってちょっとユスッテみる。2回、3回とゆすって・・・ストップ!このままを絵にしたいんだっ。」言ってることも、ちょっと日本人みたいでしょう〜!

(2004.04.01. 点検)

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