EKAKINOKI

おさわがせロシア紳士録

"Здравы будьте, гости дорогие! "

ユーリー・ダルゴルーキー

Юрий Долгорукий 1090?-1157

ボクがモスクワの創設者!それまでは、まるで辺境の地だったのさ。。

このあとモスクワは・・・・・

1325年、イワン・カリタ(1296?-1340)がモスクワ公となり、地固めをする。つまり、、カリタは「税金あつめ」がうまかったんだそうだ。そもそも「カリタ」ってのは古ロシア語で財布のこと!さらに、ロシア正教会のお偉方をウラジーミルからモスクワに呼び寄せた。

モスクワが名実ともにロシアの中心となったのはイワン3世(1440-1505)のとき。

アレクサンドル・ネフスキー

Александр Невский 1220?-1263

どこか外国の軍隊をやっつけてないとロシアの英雄じゃない、ってのはおおげさだけど・・・ノーヴガラド公ネフスキーは、ポーランド、リトヴィアまで侵攻してきたドイツの領主たちをネヴァ川で撃退。

ロシアを団結させ、タタールへの年貢に好条件を引き出すなど、政治家としての腕もなかなかのものだった。そういう能力を恐れられてか、タタールとの会見の帰途、毒殺された!

つぎのリンク先で、当時の雰囲気がちょっと味わえるよ!
http://slavya.ru/delo/exped03/ex03.htm

セルギー・ラダニジスキー

Сергий Радонежский 1321?-91

ラッキーにも・・・日本はモンゴル来襲をまぬがれた。しかしロシアには、250年ちかく「タタールのくびき」という時代があったのよ〜。

もちろん「タタールのくびき」以前にもロシアの歴史はあるんだけど、どっちらかというと神話っぽいな〜っていう世界で(ジジツなのですが)、「タタールのくびき」をいかにして断つかというあたりから、、なまなましいロシアの歴史がはじまっている。

タタールに対して画期的な第一歩をしるしたのが、宗教界の雄セルギー・ラダニジスキーと武将ドンスコイのコンビ!

このふたりのころから、、侵入者はかならず追っ払う、そのためには正教会も武器をとることを辞さないという、「ロシアのDNA」が確立された。

セルギーは、今だとセルゲイ。上の肖像は15世紀末のイコン(ノヴゴロド)にえがかれたセルギー・ラダニジスキー。こちら↓でそのイコンがみられます。
http://www.iconaantica.spb.ru/rstr3sv5.html

ドミトリー・ドンスコイ

Дмитрий Донской 1350-89

宗教界の雄セルギー・ラダニジスキーに尻を叩かれたドンスコイは、モスクワを中心に自意識過剰のロシア諸侯をまとめ、はじめてタタールに勝利をおさめた!

つぎのリンク先は、イリア・グラズノフ(Илья Глазунов)作ドンスコイ肖像(Тульский областной художественный музей) ・・・ちょっとおもい。
http://starat.narod.ru/pictures/glazunov/por..

イワン4世(雷帝)

Иван Васильевич Грозный 1530-84

ロシアで最初の皇帝。歴代皇帝のなかでも知名度抜群〜。カザンあたりまで制圧して、タタールの陰を完全に払拭したり、、

でもいっぽうでは、ロシアをまとめるために(あるいはじぶんがシキルために)、貴族の領地を没収しちゃうとか、農民の移動を制限するとか、、独裁者=雷帝として恐れられた。

いいイミでもわるいイミでも、そののちのロシアのプロトタイプをつくったひとだとおもう。「イワン・ワシーリエヴィッチの転職」っていうソ連時代のコミカル映画、みたことある?撮影につかわれたのは、「黄金の環」の町のひとつ、ロストフ・ヴィリーキーにあるクレムリン。

ロストフ・ヴィリーキー

つぎのリンク先はレーピン作「イワン雷帝とその息子1581年」の画像・・・ただ、イワン雷帝の子殺しは史実ではないといわれてる。よくわかんないけど、、
http://slavyanic.narod.ru/art/painting/repin/gr..

ボリス・ゴドゥノフ

Борис Годунов 1552?-1605

イワン雷帝はリューリク家で、女帝エカテリーナとかさいごのロシア皇帝とかはロマノフ家。リューリク家からロマノフ家に政権交代があったのは、ちょうど徳川幕府がはじまった1600年代はじめごろ・・・じつはそのとき、皇帝空白時代が15年間ほどあった!そこで活躍するのが親戚筋のボリス・ゴドゥノフ。

プーシキンがゴドゥノフをテーマに劇詩を書き、オペラの演題のひとつにもなっています。

→ 劇詩『ボリース・ゴドゥノーフ』の背景

※ 肖像は17世紀のもの。

パジャールスキーとミーニン

Дмитрий Пожарский 1578-1642 & Кузьма Минин ?-1616

ポーランドは、かつて、ロシアにとっては脅威のマトだった。(だから、、近代ロシアはポーランドを目のかたきにして分断してしまう。)ちゃっかり、強国ポーランドと結びついているロシアの内部勢力もあった。

1600年代のはじめ、ロシアが皇帝不在のゴタゴタ劇をやってるとき、そのポーランドがモスクワまで攻めのぼり、あちゃ〜。。。それを救ったのが、パジャールスキーとミーニン。

とくに平民出身のミーニンは、民衆に呼びかけ、その力を結集。のちにでてくる農民戦争のプガチョフのように、、ロシア史にはときどき、天才かキチガイか、あやういところにいるような人物がパッとあらわれてはパッと消えていく。

※ 肖像はミーニン。

ニコン

Никон 1605-81

ロシア正教会の改革者。モスクワにあるノーヴィ・エルサレム・・・エルサレムを模して、ニコンがつくった。また、いまのロシア正教のお祈りの仕方とかにも(3本指で十字をきるとか)、ニコンに由来することがけっこうあったりする。

ニコンはこのほかにもいろんなとこで顔をだすから、、たぶん、ロシアの精神的指導者としてかなりの影響力をもっていたはず。でも、ニコンのことを調べると、カノン(典礼)がどうのこうのとかそういうことが多くて、なんかメンドクなって、じつはまだよくわからない、、ゴメ〜ン。。

ステパン・ラージン

Степан Разин 1630?-71

ステンカ・ラージンの名前で知られる。ロシア語検索では、ほとんどがステパン・ラージン。農民蜂起(1670-71)のリーダー。でも、ほんとはどんなヒトだったんだろう、、、ナニをかんがえていたんだろう、、、?

ドン・コサックのアタマン(頭領)で、農民蜂起以前にも、コサックを率いてかなりハデな遠征をしてる・・・アレクサンダー大王みたく、戦争の才があったのかもしれない、、

たぶん、すっごくいいヤツだったんだろうなぁ、、って、気がしないでもない。

これ、おもしろ〜い → レヴェンツェフ作ステンカ・ラージン処刑場面
http://www.art.divo.ru/leve_nk.html

ピョートル大帝

Пётр I Великий 1672-1725

若いころ、仲間引き連れておしのびで外国に行き、近代技術を学んだ。仲間たちとだべっているうちに、「行こうか、、?行こうゼ、、!」みたくなったのかなぁ、、

ロシアの近代化を進め、ロシアのネームヴァリューを高めた偉大なインペラートル!サンクト・ペテルブルクの創設者。ロシア海軍の父。

それにしてもピョートルって、2メートルはあるかという大男でしょ?なんであんなちっちゃなベッドに寝てたの、、??あの当時のひとたちのベッド・サイズって、よくわかんないんだよなぁ、、、

女帝エカテリーナ2世

Екатерина II 1729-96

このひとドイツ人。だけど、このひとだけではなく、とくにロシアの支配階級にはドイツ人の血がいっぱいはいってる。ドイツとロシアの関係ってのは、昨日今日のおはなしじゃないのよ。

ともあれ、、エカテリーナは精一杯ロシア人になりきり、強国ロシアの基礎を築いた・・・・・イワン雷帝が元祖ロシアをつくり、ピョートル大帝がロシアを世界に認めさせ、エカテリーナのとき、ロシアは押しも押されぬ大国のひとつとなる!

しかしいっぽうで、エカテリーナ在位中には、プガチョーフの乱、フランス革命も起こってるよ〜。

こっちみて〜↓(このマンガ、必読の書!)

池田理代子作女帝エカテリーナ

プガチョフ

Емельян Пугачёв 1742?-75

プガチョフも、ステパン・ラージンとおなじドン・コサック。(ステパン・ラージンはアタマン=頭領だったから、コサックのなかでも別格。)コサックは自営農民でもあり、独立心旺盛なことで知られていた。

プガチョフはしかも、フランス・ロシア・オーストリアVSイギリス・プロイセンの7年戦争(1756-63)のヴェテラン(従軍)。つまり、、外国も見て知っていた。

プガチョフが蜂起して起こった農民戦争は1773−75年、女帝エカテリーナ治下。この蜂起は、かなり激しく暴徒化した一面があったみたいで、それがプガチョフの指揮とどういう関係があるのかはわからないけど、その勢いに、ロシアじゅうが震えあがった。

捕まって檻に入れられたプガチョフが命ごいをしたというのは、どうにもげせないのでア〜ル、、

こっちもみて〜→ コサックってなに?

アレクサンドル1世

Александр I 1777-1825

女帝エカテリーナの最愛の孫。ナポレオン戦争のあとかたずけをしたウィーン会議のロシア代表。

こっち見て〜 → アレクサンドル1世と映画 "会議は踊る"

プーシキン

Александр Сергеевич Пушкин 1799-1837

このファイルにロシアの文学者までいれると、もうタイヘンなことになっちゃう。けど、プーシキンを「ロシアおさわがせ紳士録」にいれることに、きっとだれも反対しないとおもう。

プーシキンは、ロシアの心をかぎりなく豊かにした天才詩人というだけでなく、じっさい、どの文学者より、やんちゃ、だった。

ところで、、なんでチリチリ髪か、知ってる?おじいちゃんだかが、アフリカから連れてこられて、宮廷に仕えてたの。

こっち見て〜 → 過激なことを書くひと書かないひと

プーシキンの若いころの写真とか・・
http://www.manege.spb.ru/Pushkin/

ニコライ2世

Николай II Александрович 1868-1918

こっち見て〜→ さいごの皇帝ニコライ2世

ラスプーチン

Распутин Григорий Ефимович 1864/65-1916

ラスプーチンの写真は、なんか力がありすぎて、パス〜。かわりにリンクつけときますう。

ラスプーチンの写真
信奉者たちに囲まれてるところとか、、
http://www.vestnik.com/issues/2002/1127/win/reznik.htm

こっちも見て → おまえらにロシアの子が殺せるか!


(2004.11.27.)

かんれんサイト

ロマノフ家(ロシア帝国豆辞典 HP)
カンタンな説明とともに、歴代皇帝の顔も拝めます。
http://hiroshima.cool.ne.jp/masu901/page4dic.html

スターリンについて(ロシア語)
http://stalinism.newmail.ru/

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