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ゾリオとマリーニ展

展評訳: Exibart / Paola Amadio 01.08.2001.

Arte Povera展示会の場所がいい・・・フィレンツェ、ヴィッラ・ヴォジェルの修道院とレモン畑、ヴィッラ・カルドゥッチ・パンドルフィーニの回廊(アンドレア・デル・カスターニョのフレスコ画がある)。

展示場所にいたるプロムナードにさしかかると、とたんにゆったりとした時間がながれはじめる。「時間のながれ」をテーマにした、ジルベルト・ゾリオとアンドレア・マリーニの作品展示を暗示しているかのようだ。

ジルベルト・ゾリオ

Arte Poveraジルベルト・ゾリオの作品は、「これで完成」というのではない。「ときのながれ」とともに作品の姿がじょじょに変化していく。作品にはいくつかの仕掛けがあって、それはいずれ酸化し、千年という単位で各種の結晶を形成し・・・この「変化」と「プロセス」が、ゾリオの作品だ。

ゾリオは、「るつぼ」や「蒸留器」も用いている。これらはかつて錬金術師たちが金属を溶解する際につかっていたものだ。そこに最新のテクノロジーを応用する。ゾリオの「移りゆく」というテーマがここにもある。

ゾリオは一貫してこのテーマを主張し続けている。個々の作品は、そのときどきの趣向によってさまをかえ、、たとえば作品「星」となり、作品「投げ槍」、となった。もちろんそれらは、時間の経過とともに、その「形」と「質感」を変えていく。

アンドレア・マリーニ

マリーニは、べつの仕方で「移りゆく」というテーマを表現する。

マリーニの作品には「たえまなくなにかほかのものになろうとしているエネルギー」のようなものがある。鑑賞者は、、「作品がこれからなろうとしている姿」へのイメージをかきたてられる。まるで進化の途中で結晶化させてしまったかのようだ。

作品「種まき」は、無数の包嚢が木からぶらさがっていて、まさにこの瞬間も成長をつづけているかのようだ。人工的な素材と、なにか生き物のような感触・・・

非現実と現実を結びつけようというのか、、、あるいは、現実には目に見えないものを作品から想像させようというのか、、

ものしずかなフィレンツェ郊外・・・・・ゾリオとマリーニの作品が、この展示場所に違和感なく溶け込んでいるのに気づく。この場所にまたひとつ、あらたな記憶が加わった。

(訳 2001.09.27.)(2004.12.12. 見回り)

※ ゾリオ、マリーニは「アルテ・ポーヴェラ (Arte Povera)= Poor Art」なの・・・

※ 「Gilberto Zorio e Andrea Marini」・・・ Villa vogel e Villa Pandolfini, Firenze -2001.09.02.

かんれんファイル

■ アルテ・ポーヴェラ
■ アンドレア・デル・カスターニョ

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