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ベラスケス3回のイタリア旅行

Diego Rodriguez de Silva y Velazquez 1599-1660

展評訳: ExibArtDaniela Bruni 2001.03.30.

Velazquezディエゴ・ベラスケスに捧げた大規模な展示会の企画は、3年前の1998年9月29日、イタリア衆議院場をおとずれたスペイン国王ホアン・カルロス1世が、「イタリアの首府ローマでベラスケス展をもよおしたい。」という旨を表明したときにさかのぼる。これを受けたイタリア外務省、文化省、メンモ財団(MEMMO 絵画コレクション)、およびスペイン文化省の主導のもとに今回の展示会が実現した。

ベラスケスの作品というのは、常設作品として美術館の欠くべからざる一部分をなしている場合が多く、貸出しが困難な場合が多い。今回のローマでの展示作品も、「よりすぐり」というわけにはいかなかったが、それでもかなりの成功をおさめている。ベラスケスの一生についてくわしい解説がほどこされ、作風の変化に応じて、展示は8時期に区分されている。

Velazquez(1)セビリアでの修行時代。画家で理論家でもあったフランチスコ・パチェコの工房で研鑽。作風には、カラヴァッジョ(1573-1610)、リベーラ(1591-1652 スペイン人 ナポリでカラヴァッジョの影響を受ける。)ほか、フランドル画派の影響がみられる。展示は、「聖ピエトロの涙」「午餐」など。

(2)1623年、2度目のマドリッド滞在。作風にはっきりとした変化がみてとれる。しかし売れなかった。ホアン・デ・フォンセーカの口利きで、国王フィリッポ4世の肖像画を描き、これを機に宮廷画家としてむかえられる。

マドリッドの宮廷には、数多くのヴェネツィア・ルネサンスの絵画コレクションがあった。ベラスケスはこれらの作品をみる機会に恵まれる。スペインにカラヴァッジョ、ジュリオ・サケッティの画風をつたえたとされる静物画家バティスタ・クレシェンツィが教皇使節としてマドリッドを訪れ、ベラスケスと交流している。展示は、「フィリッポ4世」「オーストリアのマリーア」「ハンガリー王女」などの肖像画。

Velazquez(3)1629-1630年のイタリア訪問。ヴェネツィアでティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットの傑作をみる。フェラーラで枢機卿ジュリオ・サケッティの招待を受けたあと、チェント、ボローニャ、ロレート、そしてローマにいたる。ローマでは、枢機卿フランチェスコ・バルベリーニの招待を受け、ヴァティカンに滞在しているので、ラファエロの間、およびシスティーナ礼拝堂、パオリーナのミケランジェロ作品を堪能したはずだ。

1630年夏をヴィッラ・メディチで過ごした。そのあとナポリにくだり、ホセ・リベーラと知り合っている。(ナポリで、カラヴァッジョの影響を色濃く受けたスペイン人画家リベーラの作品をベラスケスは知っていたが、実際に会ったのはこのとき。)1631年1月、マドリッドへ帰国。「ヴィッラ・メディチ」「スペイン大使館のあるリッサ」はこのときイタリアで描かれた。

Velazquez(4)ベラスケスが感銘を受けた彫刻「アレス・ルドヴィーズィ」と、そののちベラスケスが描いた「偉大なるマルテ 」(1639-1641年制作)を比較してみる。

(5)1649-1651年、2度目のイタリア訪問。エステ家のフランチェスコ1世と知り合い、エステ家の絵画コレクションをみている。(※ イザベッラ・デステなどで有名なマントヴァのエステ家のコレクションで、マンテーニャの作品はいまも残る。)

(6)(7)(8)ボルジャの肖像画三点がはじめて一ケ所に集合して展示されている。このほか、ベラスケスの自画像などが展示され、肖像画画家、宮廷人としてのベラスケスに焦点があてられている。

シックな展示会場はとても雰囲気がある。絵画作品に、じゅうぶんに息ができるだけの空間をあたえているのも評価される。ベラスケスは一生のうちに二度のイタリア滞在をした。今回のベラスケス展を評して、「ベラスケス3回のイタリア旅行」とタイトルしておく。

(2001.04.03. 訳)

ベラスケス作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/v/velazque/..

※ 展示会(〜2001.06.30.):Palazzo Ruspoli, Via del Corso, 418, Roma

かんれんファイル

■ ホセ・リベーラ カラヴァッジョの信奉者たち
■ マンテーニャ(評論)
■ ヴィッラ・メディチ
■ カラヴァッジョ
■ ヴェラスケスをもじったフランシス・ベーコン

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