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アートは未来を表現する?

ニューヨークのテロ事件(2001.09.11.)は、、アートのあり方にも波紋を投げかける。またいっぽうでこの事件をまるで予感でもしていたかのような作品・・・アートは未来を予見する?アートと現実の謎めいた関係について。

評訳: ExibArt Alfredo Sigolo 29.10.2001.

「アートは、手足とおなじような身体の一部分で、未来を感じ取ることができる。」(F・T・マリネッティ)「アーティストは、大衆に迎合することなく新しい世界を垣間見せることができる革命家とおなじなのです。」(K・フィードラー)

9月11日から一ヶ月、アフガニスタンに最初の爆弾が落とされてから2週間が経った。非情な現実を目の当たりにして、アートのありかたが頻繁に語られている。しかしもしかするとこれは、なにかあるとすぐそれにかこつけたがる連中の、浅薄なおしゃべりかもしれない。リサリーティはあるインタビューでこう語っている。

「アーティストは、日常生活と歴史的現実のちょうどあいだぐらいに生きていて、歴史的現実の波を肌で感じとっています。したがって、なにかコトが起こるのに前後して、そのことを予言してしまうのです。アートのもつこういう本質的な部分を、わたしたちは過小評価しています。こういう不思議な力をもつアートを、政治や文化行政の現実的な議論の場に引っぱり出そうというのは、的がはずれています。」

目の前の現実とアートのあいだには、こういう不可解で謎めいた関係がある。そのことを考慮しないひとたちは、「政治とアートの関係」などときくと顔をしかめる。しかしアートは、ありとあらゆる人間活動、わたしたち自身のなかに影をひそめている。それがときおり稲妻のようにきらめき、天空を貫く光となって姿を現わす。

だから、アートはとらえどころがない。変幻自在で曖昧模糊としたアートに、「アートとはなんぞや」と問いかけても、いつまでもしっくりこない。

「アーティストは無意識のうちに未来をかんじとり、それを作品に表現する。まるでそうなることが宿命づけられているかのような未来をアーティストはえがく。」(シェリング)しかしアートは、いったいぜんたいどうやってそんな「宿命づけられた未来」を感じとってくるのだろう?

・・・・・・・・(中略:アートの先見性は閃光のようにおとずれる、というフロイトなどに言及している。)

あたらしい世界の息吹きを伝え、過去と未来を繰り広げて見せることができるのは、ほんのひとにぎりのひとたちだ。これは狂気のなかの閃光、夢のなかのできごとなのだろうか?キケロ(BC106-BC43)はそのことをよく知っていた。

いや、それ以前にも、ひとびとは洞くつのなかに絵をえがき、ある種のできごとの神秘性を表現していた。魔術的な力で未来を予告するアートの、そもそものはじまりがここにある。

アートが原初の時代からもっていたこうした魔術的な力は、いまにいたるまでえんえんと流れ続けている。いままさに起ころうとしている予期せぬ出来事を、アーティストは表現しつづける。イタリアの美術誌「イル・ジョルナーレ・デラルテ(Il Giornale dell'Arte)」で、カテランはつい最近カステッロ・ディ・リヴォリが購入した彼のスーパーリアリズムの作品「ヒットラー・バンビーノ」についてこう語っている。

「この数日間にニューヨークで起きたようなことが、ほんとうにありうるかもしれないと分かっていたら、この作品はきっとゴミにくべていただろう。」

まさにここにアートの謎がある!「意味」は隠されていても、それははっきりと未来を語りかけているのだ。

ウンベルト・エコーは、こう言う。「アートは、心理的、生理的、環境的、文化的、あるいは自覚さえしていないような、世の中のかすかな振動を感じとり、それを表現する。」「アーティストは予想外の方向性をもつ未来を作品として繰り広げ、あらたな空間を創り出す。」

「アーティストは、意識的にせよそうでないにせよ、ある種のかすかな振動にとりわけ敏感に反応し、それが発展していこうとする方向性を表現する。」ということだろう。いずれにしても、アートは未来をも取り込んでしまう謎めいた大きな力をもっている。こういうアートの姿を直視しつつものごとを考えていく必要がある。

(訳 2001.11.03.)

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