EKAKINOKI

ヴェネツィア・ビエンナーレ / オランダ館

2001.06.10-11.04

展評訳: Exibart / Paola Capata 06.07.2001.

Venezia Biennaleヴェネツィア・ビエンナーレ:リザ・メイ・ポストの作品が、オランダ館で展示されている。イタリアでメイ・ポストの作品が展示されるのははじめてだ。

メイ・ポストの作品には、「静寂と緊張感」がある。むしろ「瞑想」といったほうが、アーティストの求めているものにより近いかもしれない。フェルメール(1632-75)が絵にえがいたような光線のあつかい方。セッティング、人の姿、顔、身体に、アーティストの入念な注意が注がれている。クリスタルのような純白さと、非現実的なまでに「うごくことのない風景」。

Venezia Biennale粗野でむきだしの壁。ワラか土がしきつめられた床。まったく飾りっ気のないスッピンピンの部屋のなかに、4っつの人体が配置されている。ふたつの人体は立ったままの姿勢。もうふたつの人体は腰掛けている。そこを支配しているのは静けさだ。

人体は、かすかにうごいているんじゃないかとおもわせる。かりにうごいたとしても、瞬間的に。しかも、擦ることも、触れることも、視線をあわせることも、ない..。完璧にコミュニケーションというものを拒んだ世界。自己完結している世界。

Venezia Biennaleビデオ作品においても、メイ・ポストが表現しているのは具体的な世界ではない。心の世界だ。そして、そこではけっしてなにも起こらない。

作品の左右対称性、必要なもの以外ことごとく削りとられたシンプルさ、綿密に計算された同系色。鑑賞者は視線を一点に集中できない。それは、腰掛けた女性がこちらに背をむけている作品でもそうだ。(Place 1998)

けっしてうごくことのない風景と、そこを支配する静寂さ。これがさいしょのインパクト。しばらくすると、今度はまたべつの不協和音に気付く。人体は、けっして顔を見せることがない。みせているのは背中だったり下半身だったり。あるいはカツラか、なにかほかの細工もので覆われている。姿勢・振舞いも、ことごとく奇妙で不自然だ。

Venezia Biennale灰色のカツラをしてスーツを着た女性が、ぶきっちょにゾウにのろうとしいる!(Trying 1998)病院のカーテンから、うしろ向きになった女性の脚がニョッキとでている。脚にはなんだかわけのわからない黄色いペーストが塗ってある。(Misprint 1993)ふたりの人間が抱擁し合っている。しかし顔は隠され、手足はみるからに作りものだ。

超現実的で夢想的な世界。くっつくわけのないふたつの世界の非現実的な融合。ときとして穏やかならぬきもちにさせられないこともない。なにか場違いのところにいるような..。見慣れた世界では意味をなさないものを見ているような..。

フェルメールの透み通ったビジョンとルイ・ビュニュエル(映画監督 1900-83:カトリーヌ・ドヌーブ「昼顔」)の狂気。そんな不思議なコンビネーションが、このアーティストのファンタジーにはある。

(訳 2001.07.09.)

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