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ジョルジョ・モランディ回顧展

Giorgio Morandi 1890-1964

展評訳: Exibart / Michela Cavagna 2000.05.26.

Giorgio Morandiトリーノの近代・現代アート市民ギャラリー(GAM)において現在『ジョルジョ・モランディ回顧展』が催され、抽象画期を経て静物を描きはじめた1920年代以降の作品が展示されている。モランディは、いままさに終わろうとしている20世紀の重要な芸術家のひとり。ジョルジョ・モランディが『GAM』に招待されるのはじつに40年ぶりだ。

1900年代を代表する画家の何人か、デ・キリコ(1888-1978)、カルロ・カッラー(1881-1966)、カンピーリ等とともにモランディの作品が『GAM』に最初に展示されたのは、いまから40年前の1959年のことだった。ミラノの三人の個人蒐集家所蔵作品から、吟味に吟味をかさねてえらばれた54点が展示され、モランディ芸術の粋と、モランディの内面での葛藤がまざまざと感じられるようないい展示会だった。

ところが、ちょうどこのころからモランディの『展示会嫌い』がはじまる。たぶんこの展示会も、モランディがそうなるひとつのきっかけだったのだろう。実際のところ展示会は、華やかさばかりが目立って、がいして表面的な賛辞だけにおわることが多い。彼の制作姿勢、生き方とそれが一致しないのは明らかだった。

今回展示の95作品のほかにも、39点の水彩画がふたつのホールに展示され、アーティスト・モランディが、自己の内面を厳しくつきつめていくの姿勢をあらためて確認することができる。

1920年代から、モランディが死去した1964年にいたる風景画、静物画を見ていて・・セザンヌ、ルソー、ドゥランばかりでなく、イタリアの巨匠マザッチョ(1401-1428)、ジョット(1267-1337)などに見ることができるある種の『詩情』が、モランディ作品にも同様にあることに気づいた。

モランディは、フォンダッツァ通り(ボローニャ)のアトリエで、まるで強迫観念にでもとりつかれたかのように、おなじような絵、おなじような静物を、繰り返し繰り返し描いていた。水さし、ガラス瓶、コップ・・日常生活のなかでもとりわけあたりまえの品々。キャンバスの中心に据えられた『モノ』が動き出すはずはないが、彼がえがく『モノ』は、『動かない』ということをあえて『モノ』が主張しているような、そんな『静けさ』と『心』をもっている。

Giorgio Morandiモランディは、『現実の静物』に秘められた『謎』を表現した。なんの飾り気もないごくあたりまえの食器が、こんなにも豊かに『なにか』を伝えてくる、心を揺さぶる。おもわず作品の前に釘づけになってしまう。

ベージュ、茶色、クリーム色などの色彩を、モランディはさらにトーンをさげてつかう。作品に漂う『絶対的な静けさ』、よどみない、飾りけがない光線が織りなす『無関心と厳しさ』に、鑑賞する者は当惑する。

そもそも風景画ってなんだ?陽に焼かれた大地のつづれ模様。自然をゆたかさを映しだすひかり。それを平らにして色をつけただけのものじゃないか・・

モランディの作品には虚飾のない光と優雅な光がまざり合っている。砂ぼこりが身体にまとわりつきそうな感じさえする。コロー(1796-1875)が、フト脳裏を横切った。

モランディの筆致は時の経過とともにさまざまに様相をかえた。あるときは力強くより大胆に。あるときは、より多彩な色で・・。

しかし、かつてさんざんいろいろなことをためしてみたことがあるモランディは、すこしく筆致をかえこそすれ、自分のテーマを真摯に追い続けた。自分の奏でる『詩(うた)』、自分の『内なる声』がなんなのかを、たぶんモランディは知っていたのだろう。

かんれんファイル

■ ボローニャの禅僧
□ モランディ展
■ スフォルツェスコ城美術館の作品 Photo

かんれんサイト

モランディ作品(2作品)
http://www.artchive.com/artchive/M/morandi.html

(2000.05. 訳)(2002.09.10. 見直し)(2004.03.22. スフォルツェスコ美術館のモランディ作品追加)

※ 展示会は・・・トリノ・近代・現代アート市民ギャラリー(Galleria Civica d'Arte Moderna e Contemporanea=GAM)Via Magenta, 31/2000年5月26日〜9月10日:9時〜19時(月曜休館)
http://www.gam.it/

かんれんファイル

■ マザッチョ
■ ジョット

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