EKAKINOKI

ルイジ・マイノルフィ

アーティストとギャラリー の関係

インタビュー訳: Exibart Bruno Panebarco 2000.11.28.

アートの世界は、むかしとくらべるとなにかかわりましたか?

Luigi Mainolfi基本的にはなにもかわってないね。若いころは、思い込みもあるし、夢もね。この世界でじゅうぶんやっていけるって。アートだってほかの仕事とかわるところはないし..。じっさい、そういう部分もある。アートにもアートのやりかたがあり、本気になって仕事をしなくてはならない。

でも、アーティストはある時点で、社会との関係をきってしまいます。そして自分の世界をつくりあげていく。そうしなきゃならない、なんてきまりはないのにね..。でも、自分が信じていることをやっているわけだから、ストレスも少ないし、いいんじゃないかな..。ほかのアーティストとはちがうことをしなくてはならないっていう、宿命みたいなものもあります。ですから最終的に、アーティストは、社会との接点をなくしてしまうのです。となると、アーティストの仕事を社会に伝えてくれるギャラリーなり、ほかの誰かがいるというのは、理想的です。

ギャラリーの存在が、邪魔になることはないのですか?

もちろん。でも、それはずっとあとのことです。はじめは、自分のことをわかってくれて、しかも支えてくれるようなギャラリーをみつけるというのは、「ユメ」ですよ。展示会をする前のことですが、トリーノのいくつかのギャラリーに声をかけました。たとえば、いまもある「トゥッチ・ロッソ」。彼等にしてみれば、べつにわたしの展示会をしなくたっていいわけです。それでも展示会をしてくれたのは、信頼してくれていたのと、おたがいに刺激し合う部分があったからです。

こちらがおもっている作品ではなくて、商業的にいけそうな作品を、ギャラリーはとりあげたがったりしませんか?

Luigi Mainolfiそれはもう。商売がからんでるんですから「なんでもあり」です。それにすぐのってしまうようなアーティストも知ってます。ギャラリーのひとたちだって、こどもじゃありませんからね。何年か前までは、わたしのことなぞ鼻にもかけなかったのに、いまではおべっかまでつかうギャラリーもあるわけです。

わたしに関して言えば、「とんとん」になってきたというところ。やっとこさ、靴のなかの小石がとれつつあるってとこかな..。だから、支持してくれるギャラリーがあるということは、とても大切なんです。それがあってはじめて、マーケットにつながっていきます。いまの若いひとたちを見てごらんなさい。そんなたいした仕事をやっているようにみえなくても、ギャラリーがついていれば、やがてはマーケットにでてくる。それ以外の方法というのは、あまり見あたりません。作品に目をかけてくれる評論家も大切です。ただこういうの、いまは前ほどではないんだ。そういう、「理屈の部分」というのが、すたれちゃったのかな?

たしかに。アーティストがなにをしようとしているのか、どうもいまの評論家は、あまり積極的に理解しようとしているようにはみえません。腰が重いというか、短期的に見返りのあるような仕事に行ってしまうようにみえるのですが..。

評論家は腰をあげるまえに、ギャラリーがりっぱな展示会をやってくれるのを待っている。いっぽうで、ギャラリーは評論家がとりあげたら展示会をしようとおもっている。これじゃうごきません。まえはこんなじゃなかったんだけど..。わたしは1968年という時代を経験しています。70年代もそうでしたが、あのころは、考え方を共有できるような評論家やギャラリーのひとたちをみつけるのに、そんなに苦労はなかった。それに、冒険をするのに、相棒にこと欠く時代じゃありませんでした。

ということは、けっきょく時代はかわったということになりますね..?Luigi Mainolfi

それはそうです。社会もかわれば個人もかわる。わたしの時代は、それは騒々しいもんだった。頭のなかに染みついている概念というのがあって、すべてのことがそこから出発する。わたしのような彫刻は、それはたいへんです。嵐のような論争がまきおこる。いま、そんなのはないでしょう。もっとらくですよね。なにかはじめるのに、どこかのグループや、セクトに組したりする必要もない。でも、やはり身をていしてやらなきゃだめだというのは、かわらないでしょう..。

国なり自治体の、公共の支援というのはあったのですか?

いまは、けっこうかんたんにそういう支援が受けられるみたいですね。でもわたしのころ、そんなのはなかった。公共の支援というのは、イタリアには存在しなかった。GAM(トリーノ近現代美術館)がいい例。ここ数年でしょう..、まともにやってるの。十年ぐらいずっと閉まっていました。ドイツやアメリカでは、状況がちがうようですけれども、イタリアは、すべて民間のちからで成り立ってる。わたし自身、わたしを信じ、支持してくれたギャラリーには感謝しているけれども、公共の機関にはこれっぽっちもだね。

制作に関してですが、最近はどういう方向に関心をもっていますか?

Luigi Mainolfiあるひとつのテーマをどこまでも追求していくタイプではありませんから、きりがないです。素材がおもしろい。テラコッタからはじまって、鉄、銅、石。テラコッタは、さんざん言われたわりには大成功だった。でもしばらくして、テラコッタの限界に気付いた。なにか限界にぶつかることで、ぎゃくに、問題をもっと普遍的なものにしていく、「挑発的な」文化的土壌がわたしにはあります。

なにをうみだすかということより、アートがのぞんでいるところに向かっていくこと、アートのあらたな可能性の扉に近づいて行くことが大切なのだと、わたしは信じています。

ほかの作家の仕事にも興味をお持ちですか?

もともと好奇心旺盛なんです。ユートピアですが、アーティストばかりの世界に住めたらいいなあと、おもうんです。表現力がゆたかなヤツほど、そこではえらい。

同世代のアーティストばかりじゃなくて、若い世代のアーティストとも、よろこんではなしをします。どんなアーティストでも、そのひとなりの見方というのを持っていますからね。作品が月並みでも、かまわないじゃないですか。経験でだんだんと作品はよくなっていく。まっぴら御免なのは、嘘と偽善。

(訳 2000.12.02.)

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