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ハドリアヌス帝ヴィッラ訪問記

Villa Adoriana 〜 その建築と構想展
Publius Aelius Hadrianus 76-138 / 在位 117-138

評訳: Exibart Silvia Bendinelli 2000.05.29.


Hadrianusハドリアヌス帝ヴィッラはティヴォリにある・・と言っても、丘のてっぺんに建築されたこの中世都市ティヴォリからさらに6キロも離れたところ、観光客用の標識すらまばらにしかない谷あいにある。それでももちろん、訪れてみたい場所であることにはかわりない。

この地方の超有名史蹟であるティヴォリ(町)は、信じられないほどに荒れ放題でひとの手がはいっていない。それにもかかわらず、ピッロ・リゴリオの手による16世紀様式のヴィッラ・デステはじめ、中世都市ティヴォリとその建築物は旅行者を惹きつけてやまない。

ティヴォリの中世都市そしてハドリアヌス帝ヴィッラ、これらがおなじ場所にないのは、そのときどきの社会政治情勢による。それはそれとして・・ようやく駅にたどり着きはしたものの、車がないとどんなことになるのか想像だにしなかった20世紀の貧しい旅行者は、あちこちでなんべんもなんべんも道を尋ね、やっとのことで2世紀に建てられたローマ人のヴィッラにたどり着いた。

だけど、それだけのことはある・・・120ヘクタールはある土地に、自然と人工的構築物が見事に共存している。円や弓形をした覆い、みごとな傾斜がついた屋根、曲線と直線が交錯するゆたかな造形。ハドリアヌス帝の洗練された趣向を感じないわけにはいかない。スロープを利用して、高低が異なる3面に建つ建造物は目にイキイキと映るばかりか、その暗示的な構造はこの土地にある種の落ち着きを与えているようにさえおもわれる。

18世紀になってはじめて、ハドリアヌス帝ヴィッラの組織だった調査がはじめられた。数多くの芸術家がここを訪れ、このヴィッラの建築構想の豊かさに魅せられ、そして訪問記録を残している。

Hadrianus古代ローマに深い愛着を抱き、景観や建築の銅版画を数多く残したヴェネツィア人ピラネージ(1720-78)もそのひとり。建築家クワレン(1744-1817)は、イタリアを離れてサンクト・ペテルブルグに発つ前に、着想を得るためにここを訪れている。彼等は、ハドリアヌス帝の夏の散策コースであった回廊で展示会を催した。

水上劇場、カノーポ(博物館)・・ハドリアヌス帝ヴィッラ(もしかするとハドリアヌス帝本人による構想?)がいかに当時の常識を超えた斬新なものであったか、測量調査がすすむにつれ、ますます明らかにされつつある。訪れることじたいが愉しみであるとともに、このヴィッラが第一級の考古学調査の対象であることをあらためて認識させられる。

『ハドリアヌス帝ヴィッラ − その建築と構想展』が、考古学調査の対象となっている敷地内にある博物館前で催されている。

興味深いカタログもあるが、カタログに記されているタイトルから想像するほどの内容ではない。建築にトクベツな関心を示したハドリアヌス帝の先進さにくらべると、研究のほうがいまだ追いついていないということ?

コンスタンティヌス帝(274-337年)が持ち込んだとされる『門』についても言及されている。これはいまだに仮説ではあるけれども、ヴィッラにある多くのものが、トライアヌス帝(53-117年)、ハドリアヌス帝、マルクス・アウレリウス帝(121-180年)に起原をもっている。

展示の規模そのものは大きくない。しかし、歴史的価値があるヴィッラはイタリアには数多くあり、その価値を再認識することができる展示のモデル・ケースとして、またさまざまな装飾上、建築上のオブジェクトがのちのちにまで残されるという意味において、こういう展示には意味があるとおもう。なによりも、ハドリアヌス帝のイキイキとした建築構想をより感じることができるというのがうれしい。

これでまた、はるかかなたにある鉄道の駅までたどり着く元気がでるゾ!

(2000.05. 訳)(2003.11.06. 見直し)

* ハドリアヌス帝ヴィッラ開園時間: 5月:9.00-19.30, 6-9月:9.00-19.00, 10月:9.00-18.00 11-01月:9.00-16.00 『建築と構想展』は〜2001.01.07.。

* ヴィッラ(Villa): 日本語表記 は「ヴィラ」が多いですが、ここでは発音通り「ヴィッラ」にしました。

ハドリアヌス帝かんれんファイル

■ 『ハドリアヌス帝回想録』
■ 版画に見るハドリアヌス帝ヴィッラ
■ ハドリアヌス帝ヴィッラ訪問記(訳)

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