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カラヴァッジョがいた頃のローマ

カラヴァッジョがローマにやって来たのが1592年。グレゴリウス15世が教皇の座から降りるのが1623年。このふたつの年号にはさまれた30年あまりは、その間に活躍したアーティスト、その庇護者、作品群によってひじょうにユニークな時代になっている。

展評訳: Exibart / Maria Cristina Bastante 11.05.2001.

Caravaggioそのころローマにはありとあらゆるやからがいた。天才、凡才。美術史に、祭壇画に名をとどめた画家たち。枢機卿お気に入りの画家たち。めし屋にはペテン師、ジプシー、酔いどれがたむろし、画家たちがそれをえがいていた。静物画家に風景画家。だれもがまだローマのことを「永遠の都」と信じ、そこにかぎりない幻想と栄光を追い求めていた。

この時代、マニエリスムが華々しく結実したわけでもなかったし、そうそうたるバロックの予兆があったわけでもない。むしろ、さまざまな歴史的事実が重なり合って、一種ふしぎな時代を織りなしていた。当時ローマで名の通った画家たちといったらせいぜい30人あまり、今となってはその名さえとどめていないその他大勢の画家たちがそこで目にしたのは、説明し難いインスピレーションを得たひとりの天才が生み出す傑作・小品の数々だった。

当時、医師で芸術愛好家だったジュリオ・マンチーニが残した「絵画考察」(1617年)には、カラヴァッジョ一派がほどなくして大きな絵画の潮流になっていったことが記されている。そして、その手法、主題、代表的作家についてマンチーニはつづけて詳しく述べている。今回の展示会はまさにこのジュリオ・マンチーニの文章を起点としてはじまっている。

Caravaggioローマに来る前、この展示会はロンドン(Royal Academy of Arts)で大成功をおさめている。「ある一点から、純粋にまじりけのない光りをおもむろにあてて照らし出したはじめての作風」とマンチーニはカラヴァッジョを評している。今回の展示会のカラヴァッジョ作品には「パウロの改宗」(オデスカルキ・コレクション)、あまり一般には知られていない「聖家族」(ニューヨーク・メトロポリタン美術館)などがある。

「カラヴァッジョ派」のこのほかの作家にもことかかない。オラツィオ・ジェンティレスキ、オラツィオ・ボルジャンニ、バルトロメオ・マンフレーディ。

ラファエッロの様式にロンバルディア地方の画風の影響がみられるアンニーバレ・カラッチ、グイード・レーニ、ドメニキーノなどのクラシックだが調和のある作品から、カヴァリエール・ダルピーノの工房にいたるまで、時代のもつさまざまな表情をたくみに構成して展示する一方、そのかたよりのない紹介は時代の雰囲気を浮き彫りにしている。

他人の轍(わだち)をふもうとしなかったアーティストもいれば、過去の様式を繰り返すアーティストもいた。風景画家に戦争画家に装飾画家。メタリックな色彩とユーモラスな主題のとりあげ方。アーティストたちが創作していたのは「世界と世界のはざま」だったのだろうか、それとも「不思議な小部屋」のなかだったのだろうか?

(訳 2001.12.14.)

展示会「カラヴァッジョがいた頃のローマ(展示会原題は「ローマの天才」)」〜2001.09.12. Palazzo Venezia, Roma

つけたし

Raffaello Sanzio 1483-1520
Annnibale Carracci 1560-1609
Giulio Mancini 1558, Siena-1630, Roma
Orazio Gentileschi 1563-1639
Cavalier d'Arpino 1568-1610: カヴァリエール・ダルピーノはカラヴァッジョのあそび友だちのひとり。当時ローマで著明だったアルピーノ工房は教皇クレメンス8世にもつながっていた。
Caravaggio 1571-1610
Guido Reni 1575-1642
Orazio Borgianni 1578-1616
Domenichino 1581-1641
Bartolomeo Manfredi 1582, Mantova-1622, Roma


かんれんファイル

■ ラファエッロ・サンツィオ
■ オラツィオ・ジェンティレスキ

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