EKAKINOKI

19−20世紀の小説家と写真

展評訳: Exibart / Raffaella Arena 2001.01.29.

Baudelaire写真の登場は、あらゆるジャンルの19世紀の芸術に大きな影響をあたえた。小説家もまた画家たちのように、写真のもつ大きな可能性に魅力を感じ、写真の登場を熱いおもいで迎え入れた。

近代文学の旗手ボードレール(1821-67年 左写真)は写真に入れ込んだ。画家が描く数限られた肖像画にかわる『新産業』だとボードレールは言い放つ。じっさい、写真は肖像画家たちにしかめっつらをさせることになる。

一方で、バルザック(1799-1850年)は別の見方をしていた。「さまざまなスペクトルからなる、何層にもかさなりあったイメージを通して、わたしたちはひとりの人間を視覚的に認識している。一回シャッターをきるごとに、そのひとを形成している層がひとつ、またひとつとはぎとられていく。」

Lewis Carroll写真という不思議な魔術は、ルイス・キャロル(右写真)とおなじくらい有名なチャールズ・ドッジソンの小説にも登場する。『すてきな写真(1855年)』には、写真にまつわる奇妙な話がある。・・写真機の前に立ち、ポーズをとる。写真が現像されると・・そこにはそのひとが考えていたことが写しだされるのだ。

イタリア文学界にも、じきに写真にたいするさまざまなリアクションと考察が生まれた。イタロ・カルヴィーノ(現代イタリアを代表する作家)の小説『ある写真家の冒険』では、写真家の友人がたえずシャッターばかりきっているので、主人公アントニーノは愛想をつかす。

「写真の目的がドキュメンタリーの作成にあるとすれば、撮影されていない場面はすべて『失われた瞬間』ということになる。だとすると、そのドキュメントは部分的なものでしかない。唯一の解決策は、たえず写真を撮りつづけることだ。」アントニーノは、人生のすべての瞬間を写真におさめるという結論に達した。

この小説は、写真にたいする痛烈な批判を社会に生みだした。

またモラヴィア(現代イタリアを代表する作家)はこう考えた。「写真は過去の一瞬を現在に持ってきて、いま進行中の出来事のようにみせる。時間を消し去り、写されている出来事に、より親近感を抱かせる。だから、写真はあくまで『過去』ではない。絵画もまたおなじようなことを試みたが完璧ではなかった。・・われわれが言う『過去』とは想像の世界のことだ。」

『現実世界とイマジネーション』について、やはりモラヴィアのように考えていたのが、ふたたび時代は遡るが、19世紀末のヴェリズモの作家たちだった。彼等は、現実に実在するものだけが考察に値すると考えて、ごく自然に写真に近づいていった。(ヴェリズモ=真実主義:『vero』 は英語の 『true』)

『アーチ・トレッツァの海』は、ヴェリズモの作家のひとりジョヴァンニ・ヴェルガ の初期作品。ヴェルガのこうした関心が、おなじくヴェリズモ派の作家でヴェルガの友人だったルイジ・カプアーナ、 フェデリーコ・デ・ロベルトらをも巻き込む。たとえば、テキストと平行するかたちでイタリアの風景が展開していくフォト・ルポルタージュは、デ・ロベルト作品の中核をなしている。

(訳 2001.01.30.)(2003.01.31. 点検)

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