EKAKINOKI

400年ぶり!デル・サルトのマドンナ

アンドレア・デル・サルト
Andrea del Sarto 1486-1531 Firenze

評訳: ExibArt Silvia Giabbani 12.11.2001.

Andrea del Sarto「マドンナ・ボッティ(ボッティの聖母子像)」は、1529年にアンドレア・デル・サルト(1486-1531)によって描かれ、「紛失した」と研究者たちにながらく考えられていた。その作品が、400年ぶりにロンドンのコートールド・ギャラリーで11月12日より展示される。

1591年、この「マドンナ」は、フィレンツェの裕福な商人マテオ・ボッティ侯爵の美術品コレクションに名を連ねている。そののち1620年にボッティが破産すると、作品はコジモ(2世)・デ・メディチ大公のものとなり、フィレンツェ・ピッティ宮におさめられた。このときあらためて、金箔のほどこされた豪華な額縁で作品が装丁された、ということまでは分かっている。だが、ここでこの作品についての消息はぷっつりと途絶える。その後のメディチ家財産目録にはでてこないのだ。

アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」は、慈愛に満ちた傑作とされ、ほかの画家たちによってコピーされたものがいくつか残っている。1997年のこと、ブーズ家(米国)の遺産相続の際に、この作品が「アンドレア・デル・サルトのコピー」として、さして有名ではないオークションにかけられた。このとき、「アンドレア・デル・サルトのコピー」としてこの作品を競り落とした(つまりそういう値段で)匿名の人物が、いまもこの作品、アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」の所有権をもっている。

この作品の真の価値がはっきりとしたのは、オークションのあと、ロンドンのコートールド・インスティチュートで作品の洗浄作業がなされていたときのことだ。1600年代の額縁(最初からついていたもので、保存状態はきわめて良い。)から作品をはずした拍子に、「So-Ho」と記された小さな紙片がはらりと舞い落ちた。「So-Ho」とは、「サマーセット・ハウス」の古い略称。「サマーセット・ハウス」は、1617年以降「サマーセット・パレス」と呼ばれるようになった英国王室のレジデンス。

Andrea del Sartoここから調査がはじまり、チャールズ1世(1600-49)の所蔵品リストにアンドレア・デル・サルトの「マドンナ」の名が見つかった。ここで、あらたに疑問が湧いてくる。この作品は、いったいどういう経緯をたどって英国にたどりついたのか。また、そのあとどのようにしてアメリカに渡ったのか..。

アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」が英国王室の手に渡ったのは、マリア・デ・メディチ(マリー・ド・メディシス:1575-1642 フランス国王アンリ4世と結婚)の娘でチャールズ1世の妻、女王ヘンリエッタ・マリア(1609-69)による、というのが専門家たちの見解だ。つまり「マドンナ」は、家族間の贈り物として献上され、王室の礼拝堂に飾られていたのだろう、という。

1649年、クロムウェル率いるピューリタン革命でチャールズ1世が処刑され、チャールズ1世の所有物が処分された。このとき、アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」をヴァン・リーンプットが購入。それがどうにかしてダンハム・マセイのジョン・ブーズの手に渡る。1650年ごろ、ジョン・ブーズは夢を託して3人の息子をアメリカに送りだしている。そして、新生ブーズ家の繁栄のもとに、アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」はそれ以降ブーズ家を離れることがなかった。

匿名の持ち主とコートールド・ギャラリーが話し合った結果、アンドレア・デル・サルトの「マドンナ」はこれから一年間ちかく展示されることになった。それから..?また歴史から姿を消してしまうんでしょうか?

(訳 2001.11.13.)

アンドレア・デル・サルト作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/a/andrea/s...

かんれんサイト

■ Courtauld Gallery
Courtauld Institute of Art, Somerset House, Strand, London.

かんれんファイル

■ デル・サルトとその弟子たち

絵画 ロシア イタリア