EKAKINOKI

色彩に捧げる彫刻家コンサグラ

インタビュー訳: ExibArt Paola Nicita 08.05.2001.

Pietro Consagraシチリアには氏の記念すべき彫刻が数々ありますが、そのなかでもとくに記憶に残るものは?

地震のあったときはたいへんでした。おかげでジベッリナ(トラッパニ、マルサーラ近郊)で制作していたアーティストたちは、いっそうのファンタジーをしぼり出さなくてはならなくなった。

ジベッリナに関心を抱いたのはわたしが最初でしたが、そのあとブッリやそのほかにもたくさんのアーティストたちが引き付けられました。いまではわたしの制作した作品『ベリチェの星』が、トラッパニの観光案内にでています。たぶん、地域で唯一近代的なシンボルとみなされているのでは?でもあそこでは、作品に対する自然の脅威もあります。『ミーティング』や『テーベの神託』などの作品には錆がつきはじめている。

『モノなんかなくても平気さ』という作品は、ふたつの大きな部分を背後にしょい込んで、高さが18メートルもあります。『ベリチェの星』よりはすこし低いのですが、背景に山があって、じつに見栄えがします。無限にひろがる青空の下で、彫刻作品と周囲の環境が響き合っている様はなんとも心愉しい。

マザーラ・デル・ヴァッロ(シチリア:コンサグラの生誕地)市庁舎正面をかざる彫刻がまだ実現していませんが・・

Pietro Consagraたぶん1983年のことだったとおもいます。1700年代のうつくしい広場にあっという間に建てられた市庁舎のおぞましさに憤慨しました。そのあとすぐにローマに行ってしまったのですが、どうしても納得がいかない。そして、正面の窓という窓を彫刻でかざる計画を思いついたのです。最初の計画をたててからすでに20年が経ちます。

つい最近、1997年、ドイツ・ダームスタッツの個展でもそのためのあたらしい企画を展示しました。そのときは美術館館長が11メートルにおよぶ2階建ての建物を再現してくれました。マザーラ市にやる気があるのかどうか分かりません。一年前にも現市長が見積もりをきいてきましたが、それから音沙汰無しです。

それが実現すればシチリアでのまたあらたな彫刻作品となるわけですね。でもどうして建築家ではだめだとおっしゃるのですか?

わたしはできるかぎり各分野の壁を取り払いつつ、自分の考え方を押し進めてきました。しかし、わたし自身が建築家として作品をつくっていかなければならない必要を感じていたのもまた事実です。1968年に米国から帰ってきて『フロント・シティー』という一冊の本を書きました。それは、現実の必要性にばかり答えて肝心の造形美を忘れている当時の建築のあり方に対する蜂起でした。

彫刻家として積み上げてきた造形美についての経験を建築にも応用できるとかんがえ、同年プロジェクトをたちあげました。それが、カーブの織りなされた連続性のあるラインをもつオフィス群となったわけです。

『町』というのは、彫刻家にとってなんでしょう?

町というのはヒトが集まってくるところ・・ほかのひとたちといっしょにいることでわたしたちは自分を見失わずにいられるし、支えられています。そういう町と、そこにあるアートを守るためにはできるだけのことはします。それは使命でさえあると考えています。

それはそうと、ついこのあいだのことですが・・ある批評家が、わたしが作った建築物『ミーティング』を評して、「まるで陽のひかりが波打っているようだ」と言っていました。

Pietro Consagraシチリアから出なくては作品は制作できないと、いまでもお考えですか?(コンサグラはミラノ在住)

シチリアは、なにか新しい考えに対して、リアクションがすぐに出てくるような場所だとは、わたしにはおもえないのです。パレルモがそういう活気に満ちたところになればいいとはおもいますが。

こんどはどんな作品をシチリアで実現させたいとおもっていますか?

シチリアではいくつも大きな仕事をしました。最近(1998年)では、オルレアン宮庭園に青銅の『しあわせに満ちた逆光』を作ったばかり。・・・マザーラ市庁舎の建物ファッサードの仕事かな・・。この企画はすでにたくさんの展示会で評価を受けています。またエコロジーという観点からも、前向きで興味ある修復として、国際的に注目をあつめるとおもっています。

(2001.05.10. 訳)(2003.11.21. 点検)

※ コンサグラ略歴

ピエトロ・コンサグラがその伝記のなかでこう言っている。「多様な色彩は造形美をそこねるというひとが多いですが、わたしは大理石のもつそういう特徴を活かして彫刻してきたことに、とても満足しています。」時代の精神をきわめて敏感に反映した彫刻家コンサグラは、今年80歳を越えた。

コンサグラは、若き共産党員たちが組織したパリ訪問に参加し、それがきっかけとなって1947年、仲間たちとともに『フォーム1(1947-51年)』というアブストラクト運動をローマで創設した。1900年代を代表する多くのイタリア人彫刻家(※)たちがそれに加わった。

※ ベネメリト(「フォーム1」創設者:1947年)、ウーゴ・アッタルディ、ピエートロ・ドラッツィオ、アキーレ・ペリッリ、ジュリオ・ツルカート、カルラ・アカルディ、アントニオ・サンフィリッポ。

「パリでさまざまなアーティストたちと出会い、それまで暗中模索していたことのヒントを見つけた。」と、コンサグラは回顧する。ブランクージ、ペヴズネル(アトリエには絶対入れなかった。)、フリオ・ゴンザレスの鉄製作品を所蔵していた"Arp"、ピカソ、大戦後ボツボツ再開しはじめたいくつかのギャラリー・・なかでもジャコメッティ(1901〜66)との出会いはイミ深だったと言う。

パリからローマに帰ると、レナート・グットゥーゾと共有していたアトリエで、コンサグラ独特のの彫刻が作られはじめた。

つけたし

コンサグラは『フロント』と『透明』という言葉を頻繁につかっている。作品タイトルにもそれが・・たとえば『透明な鉄』。『フロント』というのは・・「既存の神話やすでに確立された考え方・手法にとらわれない前向きな」というふうに解釈しました。

コンサグラを紹介しているミラノのギャラリー(Fonte D'Abisso)
http://www.fdabisso.com/consagra/opere.htm

コンサグラほか、イタリアを代表する彫刻家の作品を見ようとおもったら、日本の彫刻の森みたいのがシチリア・カターニャ市近くにあります。ただ、シチリアのは森ではなく『Fiumara d'Arte(フィウマラ ダルテ)』=『彫刻の干上がった川』。

シチリアのガイド(イタ語)(La Sicilia on Line)
http://www.lasicilia.it/

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■ 現代のイワユル彫刻家(索引ファイル)

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