EKAKINOKI

バルチュス展

Balthus(Balthazar Klossowski) 1908-2001

展評訳: Exibart / Stefano Coletto 10.09.2001.

パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア)のメイン・ホールに入るとすぐに、この展示会の主役バルチュスが私たちをみおろしている。バルチュス(1908-2001)はわたしたちに背を向けるかっこうで、傑作「サンタンドレのコンメルス通り」(1952-54)のほうをみつめている。いまにもこの絵のなかに溶け込んで行ってしまいそうだ。タテヨコ3メートルにおよぶこの作品、きわめてリアリスティックな描写。軽快かつ微妙にたもたれた均整と調和。現代絵画のあらゆる傾向がここでは陰をひそめ、古典絵画の理想が再現されている。

展示作品総数200点。ヴィルジニ・モニエとジャン・クレールによって1999年に刊行されたバルチュスのカタログに、351点の作品しか紹介されていないことをかんがえると、これはかなりまとまった数だ。

ふだんの展示会では閉め切られている窓から、ふんだんに陽光が射し込む。バルチュスが自然の光線をこよなく愛したことを、今回の展示では考慮にいれた。1700年様式のパラッツォ・グラッシの会場を歩いていると、バルチュスの大作品に入れ代わって、ときおり窓のむこうにカナル・グランデの風景がひろがっている。そのためだろうか、計算されつくしたコンポジションをもち、悠然としているバルチュス作品を、あたかもヴェネツィアが歓迎しているかのようにかんじられる。

バルチュスは現代絵画の潮流から遠く離れ、ピエーロ・デッラ・フランチェスカ、マザッチョの伝統にかたくなに固執した。古典絵画の伝統をもって鋭く挑みかける作品には、妖艶ささえ漂う。いくつかの作品にみられる作意的な無造作も、不自然ではない。

バルタザール・クラソウスキー、通称バルチュスは1908年2月29日、パリで生まれた。画家で美術愛好家だった両親はピエール・ボナールと親しく、バルチュスは最初からコスモポリタン都市の豊かな文化と刺激にめぐまれていた。そのころバルチュスは、詩人レネ・マリア・リルケの影響を受けている。1926年にはイタリアを旅行してルネサンスの偉大な画家たちの偉業に接した。

バルチュスの画家としての形成期には、1930年代のパリをとりまくシュールリアリズムと雑誌「ミノタウロ」があった。ピエール・ジュヴ、アルベルト・ジャコメッティらと親交を重ねている。ピカソに評価され、アルベール・カミュ、ポール・エリュアールなどがまわりにいた。アントニン・アルトとは、ともに舞台装飾をてがけている。

展示会は、バルチュスのこうした履歴をもつぶさに再現している。1930年には、 " 遊ぶこどもら " を一生懸命に研究し、「ギター・レッスン」、「道」などの作品になった。1950年代には「孤独者」、「部屋」、「トランプ」など、数々の傑作をうんでいる。1986-89年にかけて制作された著明な「鏡をみるネコ」。そののちの水彩への傾倒。東洋趣味の風景。アンリ・キャルティエ、マルタン・フランクらの撮影した写真が、晩年のバルチュスの風貌をつたえている。

カタログには400におよぶ写真が掲載され、おのおのの作品について、バルチュスをとりまいていたアーティストたちとの書簡、考証、イコノグラフィーなどによる、幅広く詳細な解説がほどこされている。ジョルジョ・ソアヴィ、サンドロ・マンツォらによる証言もつけくわえられていて、それはバルチュスの人間的な一面をかたっている。

記者会見でジャン・クレールが語った。「今回の展示は1900年代の偉大なアーティストにささげられたもののひとつで、バルチュスのものとしては最大規模の展示会です。」鑑賞者の見方がかならずしも研究者のものと一致するとはかぎらない。いずれにしても、すべてはなまの作品と対峙するところからはじまる。そういう意味で、今回の展示は必見のひとつといえる。

(訳 2001.09.18.)

バルチュス作品
http://www.artchive.com/artchive/B/balthus..

※ バルチュスは、1967年、日本人と日本で結婚。1977年以降、スイス、ロシニエール在住。2001年2月18日、当地にて逝去。妻 Setsukoさん−Setsuko Klossowska de Rola。

※ 展示会「Balthus」Palazzo Grassi, Venezia 〜2002.01.06.
http://www.palazzograssi.it/

絵画 ロシア イタリア