EKAKINOKI

ヴァザーリの絵の下にレオナルドの作品

Leonardo da Vinci 1452-1519
Giorgio Vasari 1511-74

フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオで、ヴァザーリが描いた絵の下にレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた壁画が発見された。

評訳: The Art Newspaper 2000.07.29.

1500年代のはじめ、パラッツォ・ヴェッキオ(フィレンツェ)内にある大評議会場の相面した別々の壁面に、レオナルド・ダ・ヴィンチが『アンギアーリの戦い』を、ミケランジェロが『カッシーナの戦い』を描くように依頼されました。『アンギアーリの戦い』『カッシーナの戦い』は、フィレンツェ興隆のもとづえとなった重要な戦いです。

ミケランジェロは、教皇ユリウス2世に依頼された仕事で精魂使い果たしていて、『カッシーナの戦い』の下絵以上のものは残せませんでした。

一方のレオナルドは、すくなくとも「下絵の制作にかかっていた」と伝えられています。ところが伝えられているだけで、どこにその絵があるのか今にいたるまで分かりませんでした。この行方不明だったレオナルドの作品が、まさにそのパラッツォ・ヴェッキオで・・ヴァザーリが描いた絵の下に見つかったのです。

ヴァザーリが残した記述によると、「レオナルドは、『アンギアーリの戦い』のフレスコ画を諦めた。」とあります。原因はミラノにある『最期の晩さん』とおなじで、描いた部分が壁から剥げ落ちるというものでした。おそらくこれは、レオナルド・ダ・ヴィンチがフレスコに油彩を使用したためでした。

しかしその一方で、ヴァザーリはミケランジェロの強力な支持者だった、という事実もわすれてはいけません。記録によると・・・「レオナルドの作品(16.8x6.9メートル)は完成はしていなかったとしても、かなりの程度まではできあがっていた。」とされています。現在温度感知による測定機器を使って、レオナルドの作品『アンギアーリの戦い』の保存状態が明らかにされつつあります。

フィレンツェ市・市会議員(文化担当)ローザ・ディ・ジョルジはこう言っています。「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が決定的に良い状態にあるということが証明されないかぎり、ヴァザーリの作品を取り除くことは考えていません。ヴァザーリはヴァザーリです・・!」

© The Art Newspaper


※ ファイル中の画像: レオナルド・ダ・ヴィンチ作『アンギアーリの戦い(下絵?)』をルーベンス(Pieter Paul Rubens 1577-1640)が模写したもの。

ジョルジョ・ヴァザーリ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/v/vas..

レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/leo..

かんれんファイル

■ レオナルド・ダ・ヴィンチとチェーザレ・ボルジア
■ ヴァザーリの『美術家列伝』どこまでほんと?
■ ミケランジェロ年譜

BBSより

タヴォラ・ドリア・・・ななしさん 2007.05.09.

タヴォラ・ドリアの公開の確立は、残念ながらかなり低いと思います。というのも(名義上の所有者の名前は残念ながらあかせませんあしからず)恐らく、バブル時期に複数の投資家の資金により数十億で落札されたと再いたようです。セラチーニは絵の専門家ではありませんが、筆のタッチの雑なことと下絵と異なる部分がかなりあることから、元の上絵ははがされて第三者が都合よく描き直したのでは、と言っております。この点については専門家たちが現在調査しているようです。)

ここで例の新技術を使ったところ、オリジナルの下絵がかなり違うことがわかりました。オリジナル下絵を明瞭に投影撮影した何千もの細かいピースをジグゾーパズルのように組み合わせて、彼はとうとう一年かけてオリジナル下絵を蘇らせました。

現在、ウフィッツィでは実際の「Adoration」の側に特別の部屋を作り、オリジナル下絵の様子を公開しているとのことです。これは、ダ・ヴィンチ専門家には大事件だったようです。これで信用回復したセラチーニは、フィレンツェ市と今度は「アンギアーリ...」の再調査許可の話し合いを持つまでにいたりました。

「アンギアーリ...」が隠れていると言われているヴァサーリの壁画ですが、旗のひとつに「cerca trova」(探せよされば見つからん)」と書かれています。ヴァサーリはダ・ヴィンチの崇拝者でしたから、”これはあながち「アンギアーリ...」がここにあるよのヒント”とセラチーニが考えても不思議はありません。

現在例の投影新技術により、16世紀の宮殿改築前、ヴァサーリがフレスコ画を描く前の大広間の様子がわかっています。(大広間の改修は、例えばオリジナルの扉をふさいで壁にしたり、新たに出入り口や窓を造ったりの結構大掛かりなものです。透かし投影技術ではっきりとオリジナルの扉などが見えます。)

歴史記述から、「アンギアーリ...」の絵の大きさもわかっています。そこから推察すると、実際に絵が隠れているのは一箇所のみ考えられる、とセラチーニは言っています。

残念ながら、フレスコ画の下に描かれているフレスコ画(油彩画)を探すのは現在の技術では不可能なため、確認作業はドリルを使って穴を開けるか、ヴァサーリのフレスコ画をどけるかしかないようです。見つかった場合、ツタンカーメンの墓発見以来の世紀の大発見になるそうですよ!(そこまですごいですか?)

それにしても、どんな状態だったにせよ、絵描きの間で評価の高かった「アンギアーリ...」の上に上塗りさせるなんて、フィレンツェの役人は何を考えてたんでしょうねえ???

専門家たちが等しく言うには、「もし、ヴァサーリがダ・ヴィンチの「アンギアーリ…」の上にフレスコ画を描くことになったら、それがどんな状態だったであれ、きっと彼の絵の下にきれいに残しておくだろう。」本当にそこにあるのなら、早く日の目をみられるように祈ります。

http://blogs.yahoo.co.jp/fumi_at_cam

えかきのき

文中「ミケランジェロは、教皇ユリウス2世に依頼された仕事で精魂使い果たしていて・・・」とありますが、これは誤りじゃないかなー。ミケランジェロがこの壁画を完成できなかったのは「1505年に教皇ユリウス2世にローマへ招聘されたため」だとおもうけど・・

1508年から1512年にかけて、ミケランジェロは、おなじユリウス2世の依頼でシスティーナ礼拝堂にフレスコ画を制作しました。この仕事には、「クッタクタになった」と言われています。

TOMさん 2003.08.03.

私も以前からダヴィンチは世界で始めて壁画に油絵の具を用いた・・・と勉強していたのでそう思っていたのですが、数ある資料などはテンペラ画作品と油彩画作品とどちらも・・・と曖昧な表現があってはっきりしていないんですよね。

一昨年末に現地で壁画を拝見したのですが、そこでも案内の方に「油彩をほどこした」と説明を受けました。教会でイタリア本の翻訳を購入しまして、それはかなり技術に詳しく触れています。そこにはこう記載されていますので、ご参考のために書いておきます。

「『最後の晩餐』はその制作終了後たったの20年にして傷みはじめる・・・下塗りが適当でなかったにもかかわらず油絵が描かれているとし、ロマッツォはレオナルドを救い、正当化する・・・絵は石膏で準備された壁にテンペラで描かれており、数箇所で油性塗料で覆われていることが疑いなく判明した・・・」

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