EKAKINOKI

ルガーノ近代美術館・シャガール展

Marc Chagall 1887-1985


ルガーノ近代美術館・シャガール展紹介文の訳

ロシアで描かれた初期シャガール作品(1908〜1910年)から、フランスで描かれた後期シャガール作品(1960〜1980年)まで、80点におよぶシャガール油彩画作品の展示会。それにしてもシャガール作品は、イキイキとして色彩感に溢れ、シンボリックで幻想的だ。家庭人として、ユダヤ人として、あるいはサーカス団との交流を通して、変化に富んだ人生を送ったシャガールへの理解を深めることができる。

さいしょのいくつかのホールでは、作家としての形成期にあったシャガールの大胆なこころみをみる。流動性に富み、曲線的で、テンポがはやい。なによりも、色彩があざやかで力強く、大胆なフォヴィズム(野獣派)へ近づいている。

それにつづくホールでは、4年にわたるパリ滞在中(1910-1914年)に制作された作品を展示。おそらく、シャガールがいちばん確信をもって制作し、満足のいく作品を仕上げた時期だったとおもわれる。

当時パリでは未来主義、キュビズムなどが支配的だったが、シャガールは、ありとあらゆる実験を試みた。シャガール作品は、日常生活や個人的な回想から出発して、つねに詩的で夢想的な世界に行き着く。

1914年、第一次世界大戦が勃発。シャガールは1922年まで、ロシア帰国を余儀なくされる。シャガールの多くの作品がこの時期のものだ。家族の肖像、生まれ故郷の風景。

シャガールはパリに戻ると、かつて描いたのとおなじ作品をおなじテーマを、あるいはヴァリエーションをまじえて、憑かれたように繰り返し描いた(※)。『ブーケのシリーズ』に見られるような、生命力と光に満ちあふれた独特な自然描写を会得したのがこの時期だ。

※ 戦争中にシャガールは多くの作品を失った。

1930年代にはいると、ナチズムが台頭。それにともなって、ユダヤ人排斥論がさかんになる。いくつかのシャガール作品もこのときに葬り去られている。そしてこのころ、深刻でもの悲しいテーマがあらたにシャガール作品のリストに加わった。

第二次大戦が勃発。1941年、シャガールは家族とともにパリを離れる決心をした。1500キロはある作品の荷造りを終えたシャガールは、一途ニューヨークに向かう。ニューヨークの群集のなかに、シャガールはおなじような境遇のアーティストたちをたくさん見い出した。

大戦後ふたたびフランスに戻り、聖書をテーマにした一連の作品に没頭。

彼はこどものころから言いきかされていた。「どんなささいなことにも意味があるのよ。どんな小さな生き物にも心があるのよ。」シャガールは、この教えにしたがう。輝くような黄色と、鮮やかな赤、濃厚な緑色を使って、シャガールはユダヤ教のメーセージをつたえた。「わたしたちの想像を越えたところに、まったく別の世界というのが、たぶんあるとおもう。たとえば『ひとつ目』がふつうの世界とか・・。」

後半のホールには、1956年からシャガールの晩年にいたる作品が展示されていて、シャガールのこの言葉が理解のたすけになる。

この展示会では、シャガールが受けた影響と創造の過程を時代を追って見ていくことで、シャガール作品の根底にあるものにより近づいていかれる。3階の展示場では『紙』を素材にしたシャガール作品が展示されている。と言っても版画・リトグラフのたぐいではなく、シャガールが制作に先立ってえがいていた水彩、グアッシュ、デザイン。シャガールが模索していたものがよりダイレクトに伝わってくる。(シャガールの彫刻作品も、お目見えする予定。)

(2001.01.23. 訳)(2003.02.13. 点検)

かんれんファイル

■ シャガールとブルガーコフ
■ シャガールがみられる美術館

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