EKAKINOKI

エイゼンシュタインとプドフキン

Sergei Eisenstein 1898-1948
Vsevolod Illarianovich Pudovkin 1893-1953

『戦艦ポチョムキン(1925年)』で有名なエイゼンシュタインと並び称せられるソ連の映画監督に、プドフキンというひとがいます。ちょっとエイゼンシュタインの陰に隠れたかんじがしないでもありませんが・・とんでもない、すごい監督なのです。

たとえばプドフキン作『母(1926年)』は無声映画なのですが、無声だなんてことをすっかり忘れてしまうぐらいストーリーの展開に迫力があります。映像の切り替えがひじょうにたくみなのに加えて、プドフキンの映像そのものにものすごい説得力があるのです。

100年前(ちょっとおおげさですが・・)に生きていたロシア人、風に揺らめく100年前のロシアの風景・・・プドフキンの映画『母』はそういう映像ではじまります。ひとつひとつの映像が、静的という意味でではありませんが、ひじょうに絵画的です。

Photo courtesy of НГПУ

エイゼンシュタインとプドフキンの相違がとてもよく説明されている一節を、『ロシア・アヴァンギャルド(亀山郁夫著/岩波新書)』から引用してみます。

エイゼンシュタインの芸術理論の中心にあったのは、「芸術は衝突である」とする理念である。彼は、真のモンタージュは衝突であるとし、ゴーリキー原作の映画『母』の監督で、やはりモンタージュの巨匠として知られたプドフキンの手法をたんなるショットの結合、羅列であると批判した。また厳密な一貫性に支配された持続性を主張するプドフキンに対し、むしろ自在な即興性にも大幅な権利を認めることで観る者の神経をとぎすまし、より興奮させる独特の編集法をつらぬいた。

(引用おわり)

エイゼンシュタインは好んで素人を出演者につかい、プドフキンは玄人をあえてつかった。しかしエイゼンシュタイン先生、そんなに力まなくたって・・。

エイゼンシュタイン作品がもっていた方向性はそののちスペクタクルな映画において、プドフキン作品がもっていた方向性はサスペンスをはじめ、心理的効果がより求められる映画において・・もちろんそんなに単純に割り切れるものではありませんが・・このふたりの映画監督があたためていた萌芽は、そののちさまざまな作品において発展し、実現されていくのです。

「エイゼンシュタインの映画が『叫び』だとすれば、プドフキンの映画は『音楽』だ。」フランス人評論家レオン・ムシナックは、このようにふたりの映画監督を形容しています。

つまり考え方のちがいでありスタイルのちがいなのであって、「プドフキンのほうがおもしろいぜ・・。」と、そんなひとたちもいるのです。

かんれんサイト

プドフキンの『母』断片(QuickTime)
http://www.tcf.ua.edu/Classes/Jbutler/T112/EditingI..

(2002.09.17.)

BBSより

梁井朗

わたしは「母」しか見たことがありません。確かにラストのモンタージュは、まあ公式的と言えば言えますが、迫力がありますね。フツーのおばちゃんが赤旗もって立ち上がる。

しかし、小生の第一の感想は「なんだ、ロシアの労働者って、凄く悲惨かと思ってたけど、日本ほど忙しくないじゃん」でした。わたしら、アコーディオンで遊んでるヒマないのよ〜♪(のちほどゴーリキーの原作を読んでもやっぱりおなじ感想でしたm(__)m )

えかきのき

>わたしは「母」しか見たことがありません。
>確かにラストのモンタージュは、
>まあ公式的と言えば言えますが、迫力がありますね。
>フツーのおばちゃんが赤旗もって立ち上がる。

『母』の最初のほうは退屈でした。「やはり無声映画にはついてかれないかな・・」とおもって、半分いいかげんに見ていました。それからあとは飲み込まれてしまいました。無声映画であることをまったく忘れさせてくれるほど、ストーリーの展開に迫力があったのです。あまりの現代性に、いっぺんにプドフキンのファンになりました。

『母』は1926年の作品なので、ソ連がまだ当初の『志』をもって溌溂としていた頃・・スローガン的な部分はほとんどないか、あったとしても不自然なかたちではなかった、とわたしはおもいます。『戦艦ポチョムキン』もそうですが、サンクト・ペテルブルクの『血の日曜日事件』ではじまった1905年の第一次ロシア革命の20周年記念ですよね。

・・・かれらがおもうように作品を作れなくなったのは、トーキーになってからですよね。はやいはなし、スターリンがより独裁者になっていくのにつれて。

>しかし、小生の第一の感想は
>「なんだ、ロシアの労働者って、凄く悲惨かと思ってたけど、
>日本ほど忙しくないじゃん」でした。
>わたしら、アコーディオンで遊んでるヒマないのよ〜♪
>(のちほどゴーリキーの原作を読んでも
>やっぱりおなじ感想でしたm(__)m )

うぅ〜ん、いろいろなことが言えるとおもいますが、『アコーディオンと酒ぐらいしか、遊ぶものがなかった。』とも言えるのではないでしょうか・・?だれでも、『どこでストレスを抜くか』ということでしょう?

カード(トランプ)・・いまはコンピューター・ゲームもあるし、ビデオもある・・もちろん酒も(ドライブとかスポーツとか旅行なんてまだまだ・・)。しかしロシア人は今も昔も、『踊る』とか・・音楽的な部分でストレスを発散をするウェートが高い民族だとおもいます。

エイゼンシュタイン作品では事実が過去の遠い記憶のように『神話化』されているとすれば、プドフキン作品では、事実が今まさに進行しているようなリアリティーをわたしは感じました。ちなみに、プドフキンはレールモントフとおなじペンザ生まれ。

えかきのき

いま気が付いたのですが、『悲惨さ』と『忙しさ』はちがうよね・・。『超多忙』=『悲惨』と言えないこともないけど。

梁井朗

多忙さと悲惨さ おっしゃるとおり、違います。でも、「母」に出てくる労働者たちって、思ってたよりも生き生きしていて、それほど虐げられているふうに見えなかったんですよ。まだ現代の日本より牧歌的というか…。気のせいかもしれないけど。

えかきのき

ひとつ忘れてはならないのは、つい最近まで、ロシアには『奴隷制(文字通り殺すも生かすも領主の自由)』が厳然とあったということです。(この史実がロシア人の国民性に与えている影響は無視できないとおもいます。)ロシア人全員が身分証を所有できるようになったのは1980年代です(=移動の自由など・・個人の権利が認められた)。

かりにわたしが『奴隷』だったとしても(ハハハ)、昼休みには皆と歌をうたったり踊ったりしたとおもいます。夜になれば、ウサを晴らすためにアコーディオンを弾いたり、酒を飲んだくれていたかもしれません。・・アメリカ人がこういう光景を見たら『牧歌的』と言うかもしれません・・。

それと、「いまの日本人がイキイキとしているか?」というのに答えるのがムズカシイように(日本人ったっていろいろですものね)、当時のロシア人がイキイキとしていたかというのも一筋縄ではないとおもいます。

プドフキン映画『母』に関して言えば、この映画が作られたのは1920年代前半で、ロシア革命後の内戦もひとしきりおさまり、まだ建国のういういしい希望に支えられていた頃、と言えるのではないでしょうか?

たしかに『母』のテーマは1905年の第一次ロシア革命ですが、映画が作られたのは1920年代で、『希望』に支えられていた出演者たちのイキイキとした表情は、「出すな!」と言ってもでてしまったでしょう。

さいごにひとつ、プドフキン映画『母』の映像からその『イキイキとした』部分を差し引いた風景が見たいとおもったら、今でもロシアの片田舎に行けば目の当たりにできます。泥酔と屈服と沈黙と、そしてまた泥酔・・・そんな底なし沼からいくつものうつろな眼差しがのぞいている・・・・・19世紀ロシア文学の世界そのものです。

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