EKAKINOKI

"戦場のピアニスト"

"The Pianist" / ポランスキー監督 / 2002年 / 仏=ポーランド / 2002年 カンヌ国際映画祭パルムドール

戦場のピアニスト最近のユダヤ人ホロコーストものって、明るさのおしつけみたいの多くない?。たとえばロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)の『ライフ・イズ・ビューティフル(1998年)』・・・「ただひたすら前向きに生きよ〜」がわるいんじゃない、ポジティヴ・シンキング大賛成。だけどもうちょっと現実的な説得力がな〜

『戦場のピアニスト』は舞台がショパンのポーランド、、ロマンチック・・?ちょっと期待したけど、そこはポランスキー(Roman Polanski/1933 -)!「戦争なんか映画にしたってちっともおもしろくないよ」というきわめて正常かつ現実的感覚で表現していたようにおもいます。ポランスキーはじっさいに母親を収容所で亡くしているのですね。

かろうじて迫害を逃れた主人公シュピルマン・・・隠れ部屋で、ピアノも弾けず(音をたてられない)、話し相手もなく、することもなく、食うものもなく、ただ生き延びるためだけに生きる・・・2、3ヶ月ではない・・・数年・・・す、すげえ、、なんのため?

いつかピアノを弾きたいからにきまってるじゃん!ピアノを弾きたい・・・もしかしてこれがこの映画の慎ましやかなメッセージ?

「YouTube」でシュピルマンがドイツ人将校を前にしてピアノを弾く場面を探した。パロディー?なんとベートーベンをしかもまちがいだらけで弾いているバージョンがありました。さもありなんの展開?

いやシュピルマンはあの状況であのショパンのバラードをああいうふうにしか弾けなかった。なぜなら、殺されるかもしれなかったから。最後の演奏になるかもしれなかったから。だとしたらじぶんが弾きたいようにしか弾けないじゃん。

生死を前にしてみせられるもの・・・それがあの演奏だった。プロフェッショナルとは?・・・ハハハ

『戦場のピアニスト』は、ウワディスワフ・シュピルマンが実際に経験したことを第二次大戦後すぐに書いたものです(← 禁本だった)。映画のなかの主人公シュピルマン=著者シュピルマンであり、シュピルマンを助けたドイツ人将校は1952年、ソ連の収容所にて死亡。「YouTube」にはシュピルマン本人の演奏もあります。けっこうおじさん顔。

(2003.05.17.)

BBSより

えかきのき

ところで、シュピルマンがときどき指を宙でうごかしてピアノを弾くまねをしてたよね。あれ・・するだろうか?するかもしれないなぁ、でも・・

TOM さん

私は映画監督としてのポランスキーファンなので、今回もとても良いと思いました。ナチものとしては『シンドラーのリスト』のようなハリウッド的おた めごかしではなくドキュメントタッチでおっしゃるとおり現実を淡々と描いてゆく手法はとても意味があり、アカデミー獲得を賞賛します。

ただ、「ピアノを弾きたい」と必死に生きながらえた・・・とは私にはあまり感じられなくて。戦時下、差別迫害される身におかれた「個」としてその才も名も人間性も尊厳も剥奪された「個」としている人間であって、ただの職業としてピアニストがあるという。

生死を分けた理由も有名なピアニストであったという特権ではなく、ナチの犬と化した元友人の引導による救いの手にのったという自分にとっての「業」 を負わされ、結果的に家族を見殺しにしてしまう悲劇。また、ピアニストであることは強制労働下では意味がなく、むしろ非力さがマイナスな立場にいながら 「運」によって死から逃れていたのは、助かる確率として他者と同じ。

極限状態、飢えながらぎりぎりで生きる人間はただ「生への執着」のみ。「なぜ生きていて、逃げるのだろう」という思考さえ剥奪された家畜化される人間性も露になっているのではないかなぁと。ただ運良く生きていた。食べていた。命があった。

確かに、ドラマ的にピアノを弾いたことが最後の救出につながったわけですけれど、それまでの生死には差別はなく現実に流されてゆくだけで、命からがらなのはそれはナチスの兵士たちも同じ、誰もが歴史に翻弄されていると感じました。それが現実。

主人公としてはあまりに寡黙なピアニストは最後まで呪いや悲しみや苦しいという憎悪の言葉を発さず、助けてくれた人に対して「ありがとう」と礼を繰り返すのみの存在になっていました。とても受動的な。ヒーロー化されていなくて良かった。

また、主人公が何も言わないことから、その意思をどう受け取っても鑑賞者の自由であるとも思います。

現実の戦争映像が連日流される中、それは歴史を伝える手段としても負けてはいなかったと思います。多くの人に史実を感動とともに伝えるためには映画が有効。このタイトルを聞いて危惧した、まさに「芸は身を助ける」だけであってはならないとも思いました。

えかきのき

「人間としての尊厳もなにもかも無視されたたんなる『個体』でしかないニンゲンにとってあるのは『生への執着』だけ。」というのは、文学的にはとてもうつくしいけれど、客観的にはそうなのかもしれないけれど、でも本人にとってはどうでしょう?『生きる執着』というのは『希望』のことでしょ?なんらかの希望がなければかんたんに死んじゃうよね。べつにホロコーストでなくても。それでもやはりピアノはシュピルマンが生き残ったことととはべつ?

TOM さん

・・・・・ ずいぶんと違うところに向かってしまったんですけれど、たぶん、すれ違っている部分は・・・最初の受け止め方、見方なのだと思います。 まず、私は「ピアニストが生きた理由」とか、職業(生きがいでもいい)があってのユダヤ人迫害ではなくて、一人のユダヤ人があの大戦下いかに生き延びた か・・・の方を重視したせいだと思うのです。それはもしかしたら映画の主旨ではないかもしれないですね。タイトル的に、商業的に。

ですが、「有名なピアニスト」「うまいピアノと引き換えの」というのがとても怖かった。有名人だから、芸術家だから、何かの特権を得られるというの は描かかれてほしくないという。もちろん、世の中にはそれが当たり前としてあって、同じ政権下でユダヤ人文化人が特権で亡命していることありますし、それ も現実。でも、映画化においてはそういう描き方には反発だったんです。

そして、その芸術家の神格化というのが最も避けたい問題だとこの映画を見る前に願っていたのです。その危惧は問題なかったというのがひとつ。 ・・・・・

えかきのき

なるほどね。そういうのもこわいね。だけど本人にしてみればなにをいわれようが生き残った、これはおっきいよね。ところでベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』だけど、あの映画はべつにナチのホロコーストじゃなくても作れたよね。

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