EKAKINOKI

"パッション"

"The Passion of The Christ" / 2004年 / メル・ギブソン監督

やっと見れた。でもあんましカンドウしなかった。「んっ、、これだけ?」ってかんじ。理由はふたつぐらい・・・・・

たぶんコレ、作ってるほうにしても見るほうにしても、「疑似体験の映画」のようにおもう。だけど、あれだけの拷問や処刑が行われる背景には、ふつう、冷血無残で顔をそむけたくなるような政治的背景があるもの。

そこいらへんをあまりつっこまないで、イエスの拷問というジジツだけにスポットをあてても、ただ「血」だけをふんだんに流しても、じっさいにはあまりコワサを感じない。

たぶんメル・ギブソンさんって、とてもヒューマンなひとなのか、熱心なキリスト教徒なのか、それともスピリチュアルなところに関心が集中してる、、、?

ここいらへんがまずひとつの理由、、で、もうひとつの理由とは・・・

比較的言語オンチというか英語至上主義のアメリカ人(メル・ギブソンはオーストラリア人だけど映画はアメリカ製)にしてはめずらしく、古語 − 当時イエスが話していたアラム語とラテン語(役者によっては純イタリア語で喋っちゃってる場面もあったゾ、、) − でみんなが会話をしているってこと。

これじたいはけっしてわるいことじゃない(というより個人的には支持派)。でもそんなにカンタンじゃないな、っておもった。

なぜなら、日常生活のなかでだって・・・皮肉、ジョーク、罵倒、猥褻語、言葉にならないツブヤキなんかがたくさんあって、「間」とかがとれて、ひとつのセリフがはじめて魅力的に輝く。美しいセリフはそれだけボコッとでてくるもんじゃない、とおもう。

古語で、そういう卑猥語や言葉にならないようなツブヤキをどうやってカヴァーすんの??できない、でしょ?

フィルムのなかではそういうスラングの部分を、どっちかというと「笑い」とか「ジェスチャー」とかでごまかしてるようにかんじた。しかも知らない言葉ではなしているわけだから、なんとなく一本調子というか演技じみてしまって、ニンゲン臭さが薄まってしまっている。

モチロンモチロン・・・つまんないことにお金をつかうより、私財を投じてこういう映画をつくったメル・ギブソンさんはスバラシイ〜、とおもいます。

ところで、茨の冠をかぶせられるイエスが頭を棒でこずかれる場面が、この映画のなかにもでてきた。ウィーン美術史美術館のカラヴァッジョ作品「荊刑のキリスト」が以前日本に来ていたときも、「この棒でいったいなにをしているのか」、、いまいちよくわかんなかった。

このフィルムのシーンでは、すくなくとも、茨の冠を棒でねじって締め付けているのではない、どちらかというと「こずいている」。でもほんの一瞬で、やっぱりよくわからなかった、、、、、ああ、ストレスたまるう。。

(2004.07.17.)

※ ファイル中の画像: グリューネワルト作品(1515年/Isenheim)

パッション公式サイト(Herald Online)
http://www.herald.co.jp/official/passion/index.shtml

かんれんファイル

■ カラヴァッジョ作「荊刑のキリスト」

BBSより

ましろさん 2004.07.25.

今回のイエスのは、本当にあんなに鞭打たれたんだろうかというのがやっぱり疑問。あと、マリアはああいう運命に結構覚悟ができてたの?というわけなのか?と思っちゃった。私なら引き離されても殺されても鞭打たれる息子の上に多い被さって守ろうと必死になると思う。たとえそれができなくても、別に確固たる罪状で(人殺しとか窃盗とか)処刑されるわけではないのだから、単に傍観はしてられなかったと思うなぁ。いろんな背景はあるのだろうけど、柱のカゲとかから見てるマリアを見るのが、あの映画の中で一番辛かったかんじがした。とても人間的に描かれていたので、特にそう思えただけかもしれないけど。

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