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アレクサンドル1世と映画 "会議は踊る"

ルソーらの自由平等思想に感化されたのはまずインテリ層です。とうぜん、ヨーロッパの当時の専制君主たちもその影響を受けました。しかしじっさいにフランス革命が起こり、王族の首が落とされると「とんでもない」ってことになります。

そののちの時代、つまり1800年代は、自由平等、民主的な体制を手にいれようとするひとたちと、なんとか旧体制にしがみつこうとする貴族階級たちのいがみ合いです。

フランスでは、ナポレオン(1769-1821)が革命後の混乱をうまくおさめ、さらにその力でヨーロッパを席巻し、そして破れ・・・いったんエルバ島に流されました。そのとき、ナポレオンにひっかきまわされたヨーロッパを整理するために、オーストリア外相メッテルニヒ(Metternich 1773-1859)の主催で「ウィーン会議(1814-15)」が開かれました。

このウィーン会議は、「会議は踊る されど進まず」と揶揄されたように、それぞれの国が利益を主張していっこうにまとまる様子がなかった。ところがナポレオンがエルバを脱出したというニュースがはいるやいなや、「すべてをナポレオン以前に戻す」みたいな超保守的な線でみな譲歩。

映画『会議は踊る』では、タイヘンだ〜みたいに仰天した顔をしてみんなそそくさと退散、みたいな幕だったと記憶しています。ところで、このウィーン会議に出席したロシア代表は、色男のロシア皇帝アレクサンドル1世(1777-1825/在位:1801-25)です。

アレクサンドル1世のおばあちゃんは女帝エカテリーナ。おばあちゃんのエカテリーナはかなり開明的なヒトでした。でも、エカテリーナは悟った・・・エカテリーナ2世が臣下兼恋人のポチョムキンと話している場面から引用(池田利代子著「女帝エカテリーナ」)・・・

「私には、やっとわかりました。このロシアという国はまだ改革にふさわしいほどにも成熟していないのだってことが。」「そう・・・このロシアが救われる道はただひとつ。何ものをも動かさぬこと・・・」

(引用おわり)

映画『会議は踊る』は、「ウィーンを訪れたロシアの皇帝」をうまく肴にしてるというか、アレクサンドル1世がいちばん目立ってる。

アレクサンドル1世も、また自由思想の持ち主でした。しかしロシア貴族のガンコな抵抗とナポレオン戦争・・・結局はなにもできぬまま保守化していきます。

しかし、、おなじ専制君主制でも、ヨーロッパよりロシアのほうがシメツケがダンゼン厳しかった。農奴制は1800年代もありましたし、したがって農民には移動の自由もなかった。その頂点に皇帝がいる。

それだけに、そういう体制にたいする反動も強くでます。反動が強烈な分、体制側は譲歩するなりなんなり、なんらかの有効な対処策を講じなくてはならなかったはずです。

ウィーン会議から10年後の1825年、アレクサンドル1世が急逝すると、、この機を利用しない手はないと、急進的なロシア貴族たちが蜂起を決意しました。「デカブリスト蜂起」です。

これは、そののちのロシア革命につながるきわめて象徴的な事件ですが、蜂起じたいは失敗に終わり、関係者はことごとくシベリアに送られました。そのなかにはプーシキンの学友とかもいて、プーシキンも蟄居を命じられています。

(2002.04.30.)(2003.03.27. 点検)(2003.10.27. 加筆)(2004.11.26. 見回り)

※ 「会議は踊る(Der Kongress Tanzt)」・・エリック・シャレル監督 / 1931年・独

※ ネクラーソフの「デカブリストの妻(岩波書店)」
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/7/3261120.html

かんれんファイル

■ ロシアおさわがせ紳士録
■ 女帝エカテリーナ(マンガ)
■ プーシキン
■ 1800年代のイタリア

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