EKAKINOKI

森の番小屋

「ミステリー・モスクワ ガーリャの日記 1992年」 / ガリーナ・ドゥトゥキナ著/吉岡ゆき訳/新潮社/1993年 ・・・ ガーリャはガリーナの愛称

ガリーナの日記 1992年

ロシア(ソ連時代)の画家が、ヨーロッパ・ロシア北方やヴォルガ河畔のどこかとてつもない原野に出掛けていき、かなりの期間、そこにあるらしい『森の番小屋』に留まって絵を描いていた、というはなしを耳にすることがよくあります。

『森の番小屋』、つまり『ほったて小屋』は、絵にもときどき描かれているのでそれなりのイメージはあったのですが、本書のなかでガリーナ・ドゥトゥキナはひときわみずみずしく描写しています。

(以下引用)

『村の周辺の岬や湖のほとりには猟師小屋や漁師小屋が点在していた。どの小屋も通常は人が住んでいない。いずれもペチカが据え付けてあって、錠前・閂(かんぬき)の類は一切ない。誰でもやってきて、好きなだけ住める。戸締まりの習慣がそもそもないのだ。外出する際は戸口に箒を立てかけておく。小屋を後にする人間は、薪一束とマッチ、それに乾パンを置いていくことになっていた。』

『湖の色は絶えず変わる。今は白夜の季節。ここの白夜はレニングラードよりももっと明るい。日没は真夜中の十二時。トルコ・ブルーの空、ピンクの雲、湖に注ぐ小川の鏡の如き水面に浮かぶ睡蓮の黄色い花びら。ほんの二時間後には日が昇る。左の地平線が赤々と燃え、右の水平線は金色に輝く。あたかも太陽が二つ同時に昇るかのようだ。』

『海岸の石の間には毒蛇が生息している。巣を見つけることもある。毒蛇はしばしば民家に入り込みペチカにもぐり込む。だからペチカに薪をくべる前には、まず紙切れを放り込んで火をつけねばならない。

一度に十羽孵る雛を連れた鴨も多い。「ヤウ・ヤウ、イヤウ、アーアー!アー!」カモメが夜毎飢えた猫よろしく叫ぶ。茂みでは名も知らぬ鳥が「フュイッチ・ウイジー、フュイッチ・ウイジー(とっとと失せろ、とっとと失せろ)」と不機嫌に鳴いている。明け方の海では、ボチャンと何ものかの潜る音がする。おそらくアザラシだろう。人家の周辺では食べ物を求めて熊がうろつく。』

(引用おわり)

本書は、ガリーナ・ドゥトゥキナ(日本文学翻訳家・出版社編集者)が、日本の出版社の企画で1992年に書いた日記です。

この日記が書かれた当時からすでに10年近くが経っていますが、そこで起こっていることは、かなりの部分が今もまだ現実です。10年前と今とで、もしなにか変わったことがあるとしたら・・そういう現実にたいしてひとびとが、たんにもうすこし楽観的に構えるようになったか(慣れてしまった・・)、あるいはより非観的になったか(悲惨になった・・)、の違いぐらいではないでしょうか・・。

それだけに、モスクワに身を置かなくてはならない者にとっては誇張なしに重々しい現実です。じゅうぶんに暗たんとした気分になれるので・・途中で読むのを一端やめました。(またあとで、けっきょく読了しましたが・・。)ところで、こんな一節がありました・・。これって、ほんとなのでしょうか???

(以下引用)

『猫と犬の自殺志願が、特に大都市で目立ってきた。犬や猫が自動車道路に出てきて横たわり、轢かれるのだ。わが国の「犬の生活」は犬にも耐え難いのか?』

(引用おわり)

かんれんファイル

■ 風景画家ロマジン(パウストフスキー)
■ ロマジンの白夜(パウストフスキー)

(2002.10.01.)

BBSより

ミンチカ

モスクワの野良って、冬の寝床はどうしてるのかなあ。。。

森の番小屋っていいね!山小屋精神と同じみたいで。この小屋って個人のなんだろうか、それとも村とか猟師組合?のなんだろうかと追求する気は無いんですが、これ又ふぃっと思いましたです。

えかきのき

>モスクワの野良って、冬の寝床はどうしてるのかなあ。。。

ペチカ♪あったか〜〜〜

>この小屋って個人のなんだろうか、
>それとも村とか猟師組合?のなんだろうかと
>追求する気は無いんですが、これ又ふぃっと思いましたです。

『森の番小屋』というのは、漁師や猟師、あるいは山林従事者とか・・長いあいだ森にこもって仕事をするひとたちのための住処なのでしょう。日本だと、『山小屋』がちょっと似てるかな・・緊急避難所・・。

山のなかにある旅館(日本)で、冬になると道がふさがってしまうので休館しているのですが、そこでひと冬越す番頭さんみたいのがいて、登山者などがあると、彼等は受け入れる義務があるみたいです。

ミンチカ

ああ、どうかどうかその番頭さんがいい男でありますように〜(?)

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