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「ミツコと七人の子供たち」

シュミット村木眞寿美著 / 講談社 / 2001年

ミツコと七人の子供たち青山光子(1874-1941)は、オーストリア・ハンガリー帝国外交官として東京に赴任していたハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(1859-1906)と結婚(1892年)(※)。1896年に渡欧。そののち日本には帰ってきていません。

次男リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)は東京で生まれています。

このリヒャルトが、第一次大戦後の新秩序として『パン・ヨーロッパ(パンというのは広域にわたるという意味)』という考え方を提唱・推進し、それがのちに『ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(1952年)』、『EEC(1959年)』、そして現在の『EU』へと発展しました。

「ミツコと七人の子供たち」を読んだのも、リヒャルトに興味をもってなのですが・・・多民族・多文化の上に成り立っていた『オーストリア・ハンガリー帝国』のこと、そこから容易に理解される『中欧』という考え方、『ズデーテン地方(ボヘミアのドイツ人居住地域)』とはなんだったのかなど・・これはおもしろかった。

リヒャルトの思想に多大な影響を与えたと考えられる父親ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯が、学究者としてのたいへん魅力的であったということもよく伝わっています。

ちなみに、『ミツコ(Guerlain)』という香水がありますが、青山光子さんとは関係がないようです。

パリで『ミツコ』が発売されたのが第一次世界大戦(1914-18)が終わった頃なので、青山光子さんと時期は重なるのですが、ゲラン社はたぶん、東洋(あるいは日本)を想像するような一般的な名前としてつけたのだろう、というのが一般的な説です。

日露戦争をテーマにした『ラ・バタイユ/クロード・ファレール著』という小説が当時出版され、そのなかにでてくるTOGO将軍の妻が『ミツコ』で、そこからとったとも言われています。

(2002.09.28.)

※ ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯が東京に駐在していたのは、1892年2月29日〜1896年1月。

かんれんファイル

■ EUとハプスブルグ家のかんけい
■ 東欧・バルト三国がEU加入

かんれんサイト

青山光子の生涯についてのあらまし(日本史のなかの女性)
http://www.ffortune.net/sex/social/wj/wj18.htm

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