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ルネサンスのサヴォナローラ劇場

Girolamo Savonarola, 1452(Ferrara)-98(Firenze)


サヴォナローラ:フラ・バルトロメオ作/1497年ごろ(フィレンツェ サン・マルコ美術館)

「サヴォナローラ VS フィレンツェ・ルネサンス」はほんとうだろうか?

「お祭り騒ぎのフィレンツェに飛び入りの気違い僧侶サヴォナローラ」は、まるで劇の一場面かのようでしごく分かり易い。

しかし、オープンなルネサンスは気違い僧侶の言うことに耳を傾けた。「ちょっと騒ぎ過ぎたかな」という引け目もスネサンスにはあったろう。

なら、サヴォナローラはルネサンスの一部分だ。サヴォナローラを舞台に登場させたのは、ルネサンスそのものだ。


そりゃそうだろう・・・

ジョットの世界がとつぜんボッティチェッリだ。

利子さえノー!のキリスト教文化に金貸しのメディチだ。

そんな状況で、「世界はもう終わりだ〜」みたいな世紀末をあおられれば、説得力ある。

ちょっとは気違い僧侶の言うことに耳を傾けたくなる気持ちもわかる。

当時の知識人なら、だれもが、どこかでサヴォナローラの説教を聴いただろう。いや。すすんで聴こうとしただろう。

メディチ家のロレンツォまでが耳を傾けたという。


しかし、サヴォナローラは、ひとびとが信じようとしたよりもはるかに狂信的だった。

処刑、ルネサンスの芸術の3分の1を焼き尽くし、フィレンツェのひとびとを恐怖におとしいれた。

サヴォナローラは焼き殺されてしまうが、ともかく、ルネサンスの陽気な気分をフィレンツェから一掃してしまった。


いっぽうで、サヴォナローラ劇場の裏では、もっと残酷な政治がうごめいていた。まさにマキャベッリの時代である。

ほどなく、イタリアはフランスや神聖ローマ帝国の軍隊にひっかきまわされ、フィレンツェはあっちにつきこっちにつき、政治不安をきわめる。


メモ↓

1492年 ロレンツォ・イル・マニフィコ死去(享年43才)
1495年 フランス軍の侵攻とともにメディチ家失脚
1495-1498年 サヴォナローラによる神権政治
1512年 神聖ローマ帝国ハプスブルグ家の軍事支援を受けたメディチ家がフィレンツェに復活
1537年 メディチ家のコジモ1世がフィレンツェ公国大公になる


(2003.08.08. 点検)(2016.04.06 見回り)

かんれんファイル

晩年のボッティチェリとサヴォナローラ

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