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ボクの祖母はカテリーナ・スフォルツァ

Cosimo I de' Medici (1519-74)

メディチ家にロレンツォ・イル・マニフィコのとき以来の繁栄をもたらした初代トスカーナ大公コジモ1世(左画像)・・・かれがこの世に生まれるにいたったいきさつがおもしろい。

おもしろいはなしのいきさつは、パッツィ家による「メディチ家のロレンツォ&ジュリアーノ暗殺事件(1478年)」にはじまる。

この暗殺事件は背景がかなりフクザツで、ひとことでかたずけるのはキケンすぎますが、メディチ家と対立した勢力に、パッツィ家のほかに教皇シクストゥス4世がおそらくいました。教皇が画策した、甥ジロラーモ・リアーリオの結婚と、それにともなう領地モンダイで、メディチ家とはげしく対立していたのです。

メディチ家暗殺事件にはけっきょく甥のジロラーモ・リアーリオも加担し、さいごはメディチ家に復讐されるかたちで消されてしまうのですが、リアーリオに嫁いでいたのが、ミラノ・スフォルツァ家のカテリーナ・スフォルツァ(1463-1509)です。

このカテリーナが、トスカーナ大公コジモ1世の「おばあさん」にあたります。んっ、、?ってことは・・・メディチ家暗殺事件に加担したひとが、フィレンツェの統治者コジモ1世・デ・メディチの「おじいさん」なの?!ハズレ〜。。では、だれがコジモ1世のおじいさんで、だれがパパ?!

左から・・・黒旗隊のジョヴァンニ / カテリーナ・スフォルツァ / ジョヴァンニ(イル・ポポラーノ)

カテリーナ・スフォルツァは、夫亡きあと領主としての務めを果たす一方、しかしまた「恋多き女」でした〜。

カテリーナ・スフォルツァのお相手のひとりが・・・甘いマスクをしたメディチ家のジョヴァンニ・イル・ポポラーノ。のちに秘密結婚することになるイル・ポポラーノとのあいだにできたこどもが、夫とおなじ名前のジョヴァンニです。

こどもが生まれるとすぐイル・ポポラーノは死に(1498年)、その翌年、カテリーナ・スフォルツァは、イタリア史に残る武勇伝のひとつとなった籠城(1499-1500年)を、チェーザレ・ボルジアとフランスの連合軍相手にやっています。

それから歳月が経ちます・・・カテリーナ・スフォルツァの息子ジョヴァンニは腕っぷしが強かったのか、あるいはそういうイミでのリーダーシップがあったのか、、教皇に認められ、傭兵隊長になり、「黒隊(=黒旗隊=バンデネーレ)のジョヴァンニ」として、戦場で恐れられるようになっていました。

ところが隊長ジョヴァンニは、1526年、神聖ローマ帝国カール5世の軍隊とやり合った際に命を落としてしまいます。たったの28才!

黒隊のジョヴァンニは、ロレンツォ・イル・マニフィコの孫娘とのあいだにすでにこどもがありました。ジョヴァンニが死んだとき、その子は7才・・・そう、、この子が、のちの初代トスカーナ大公コジモ1世です!

つまり恋多き女カテリーナ・スフォルツァの3番目の夫、メディチ家のイル・ポポラーノの孫が、コジモ1世です。ざんねんながら・・・おばあちゃんは1509年に亡くなり・・・孫の凛々しい姿をみることはありませんでした。

(2002.08.17.)(2004.11.15. 見回り)

かんれんファイル

■ ミズ・ルネサンスは一本気
■ 映画「メディチ家のジョヴァンニ」の背景
■ チェーザレ・ボルジア


かんれんファイル

■ メディチ家の人々
□ ボクの祖母はカテリーナ・スフォルツァ
■ パッツィ家による暗殺計画の真相
■ メディチ家ゆかりのモニュメント
■ カトリーヌに贈られた7連の真珠

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