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メディチ家のジョヴァンニ


「木靴の樹」で有名なエルマンノ・オルミ監督の映画作品に「メディチ家のジョヴァンニ(仮題)」がある。

原題は「Il Mestiere delle Armi」。「戦うために生まれたメディチの男」ぐらいが意味としていちばん近いとおもうがどうだろう。

戦いに明け暮れ若くして死んだメディチ家のジョヴァンニ(Giovanni de' Medici 1498-1526)が主人公の映画だ。

GOOGLEの画像検索より

「メディチ家にもそんなひとがいたんだ。」とおもうひともいるかもしれないが、いた。

それも半端な血筋じゃない。母親は、カテリーナ・スフォルツァ(1463-1509)。チェーザレ・ボルジア(1475-1507)とフランス、その背後にいた教皇庁の連合軍を敵にまわしてフォルリ城にたてこもったヒロインだ。

父親は、彼女の何番目かの夫、メディチ家ジョヴァンニ・イル・ポポラーノ(1467-98)で、ジョヴァンニの誕生後まもなく死んだ。

ジョヴァンニは、そんなこんなの家庭環境で、幼いころからおもてでケンカ三昧、そのながれで軍人となり、『黒旗隊(黒隊)のジョヴァンニ』として戦場でおそれられるようになる。やがては、教皇庁までがその統率力を利用するようになった。

この映画のもうひとつの背景は、当時、イタリアを戦場としたフランス王国と神聖ローマ帝国の戦いだ。

このあたりは非常に複雑な事情が交錯しているが、カンタンに言うと、この映画の時点では、「フランス王国+教皇庁」VS「神聖ローマ帝国+ゴンザーガのマントヴァ公国」。

隊長ジョヴァンニは教皇派を率い、神聖ローマ帝国カール5世の将軍フルンツベルグをマントヴァ公国のポー川河畔で迎えうつ。

「ゴヴェルノロの戦い(1526 Governolo)」と呼ばれるこの戦いは、それから四半世紀後にあった桶狭間の戦い(1560)そのものだ。

神聖ローマ帝国、つまりゲルマンの火力の前に古い戦い方がぶちのめされた。

小津監督を敬愛していたというオルミがえがく中世の戦いのしずけさとむごさ、権力と裏切りは何度見てもうなってしまう。

騎馬上のジョヴァンニは大砲の玉にあたって致命傷を負い、片足を切断するも28歳の若さで死ぬ。(ジョヴァンニの遺骨は医学検証された。)

映画はそのあたりで終わるが、そのあと神聖ローマ帝国軍は教皇憎しとローマになだれ込み、歴史上有名な1927年のローマ大虐殺(サッコ・ディ・ローマ)を引き起こした。

ローマが異民族によって占拠略奪された数あるうちのひとつだが、ルネサンスの栄華はこの出来事で息の根を止められてしまった。

ちなみに1927年といえば、ラファエッロはすでにいない。ミケランジェロ52才、ティツィアーノ39才、ポントルモ33才、ブロンツィーノ24才、ティントレット7才。

「君主論」で有名なニッコロ・マキャベッリ(Niccolo Machiavelli 1469-1527)はまさにこの年没した。

ところで、われらが隊長ジョヴァンニはこのときすでに若きパパだった。妻はマリア・サルヴィアーティ、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコの孫娘(Maria Salviati de' Medici)だ。

malia salviati

Maria Salviati de' Medici by Pontormo, 1537

かれらの遺児は、のちに初代トスカーナ大公となったコジモ一世(1519-74)だ。

(2001.06.27.)(2002.08.08. 見直し)(2004.08.27. 点検)(2016.03.30. 見回り)

※ 映画の原題: 「Il Mestiere delle Armi(Ermanno Olmi, 2001)」 映画の原作: 「IL DIAVOLO DALLE BANDE NERE(Federico Orlandi)」

かんれんファイル

■ オルミ監督メモ
■ サン・ロレンツォ広場にあるジョヴァンニの彫像
■ ボクの祖母はカテリーナ・スフォルツァ(コジモ1世)
■ フィレンツェ・メディチ家の人々
■ ミズ・ルネサンスは一本気
■ マントヴァかんたんマップ

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