EKAKINOKI

マッキアイオーリってなに?

Macchiaoli

『マッキアイオーリ』は、1850−70年ごろのフィレンツェを中心としたムーヴメントのひとつです。『マッキアイオーリ(=マッキア派)』の『マッキア』はイタリア語で『シミ』『斑点』のこと。だから直訳では『シミ派』・・おそらくだれかが『シミがついたようなキタナイ絵』と言ったのかな?『印象派』との相関関係がうんぬんされます。『マッキアイオーリは印象派のさきがけ』なんていうひともいます。

macchiaioli

パリとフィレンツェ・・・たしかに場所も時代もほとんどおなじ。ちなみに、アングルやドラクロワ主導の『サロン』に向こうを張ってクールベが個展を開いたのが第一回パリ万博(1855年)のときで、マネ、ホイッスラー、ピサロ、ファンタン、ラトゥールなどの『落選者展』は1863年です。

『マッキアイオーリ』のメンバーも、もちろんパリを訪れたりしていますし、1858年にはエドガー・ドガ(1834-1917)がローマから移り住んできて、フィレンツェの画家たちと親交を深めています。

macchiaioli

伝統的なアカデミズムに対する反動だったという背景もおなじ。ガチガチの歴史画はやめて、農村風景とか・・日常的な風景を好んでテーマにしていました。なーんだ、なにからなにまでおなじじゃなーい。そう、作風もよく似てるんです!

「どっちが先か相関関係があるのか」なんてのは、両者の作品をヒトツヒトツたんねんに比較対照して、資料に注意深くあたって、というたいへんなお仕事〜。

macchiaioli

それにしても、明暗コントラストを追求していく過程で、輪郭はよりおおざっぱになり、そのおおざっぱな部分が全体を構成する・・という描き方になっていくところなど、当時の画家たちの感性にはフィレンツェもパリもなくほとんどおなじというかんじがします。マッキアイオーリたちは「黒い鏡」をのぞきこんで、そこに映る風景にウットリしたりしてました。

『マッキアイオーリ』のもうひとつの定義には、「1860年ごろフィレンツェのカフェ・ミケランジョロ(Caffe Michelangiolo)にたむろしていた画家たち」というのがあります。こっちのほうがよりわかりやす〜い!

このカフェはいまもあるのでしょうか?かつてフィレンツェの中心だったレプブリカ広場には、文人たちが集っていたカフェ『ジュッベ・ロッセ』とかがいまもあって、いろんな作品が店内に所狭しと飾られています。

macchiaioli

改装中のジュッベ・ロッセ

カフェ・ミケランジョロにトグロを巻いていた代表的なマッキアイオーリの画家には・・・・・ジョヴァンニ・ファットーリ(Giovanni Fattori)、シルベストロ・レーガ(Silvestro Lega:)、オドアルド・ボッラーニ(Odoardo Borrani)、ヴィンチェンツォ・カビアンカ(Vincenzo Cabianca)、クリスティアーノ・バンティ(Cristiano Banti)、テレマーコ・シニョリーニ(Telemaco Signorini)、ラッファエッロ・セルネーズィ(Raffaello Sernesi)などがいます。

※ ファイル中の画像:上からふたつがヴィンチェンツォ・カビアンカの作品『糸を巻く女(1862年)』『ネプチューン(1872年/GAM di Palazzo Pitti)』。 3番目はシルベストロ・レーガの『ブドウ棚(1868年/ブレーラ美術館)』。

※ カフェ・ミケランジョロに集うアーティストたちの夕べを描いたアドリアーノ・チェチオーニの水彩画から、マッキアイオーリの名称がでてきたみたいです・・・

※ マッキアイオーリの作品は・・・ Palazzo Pitti(フィレンツェ)やローマの現代美術館、Museo Civico Giovanni Fattori(リヴォルノ)などで見られます。

マッキアイオーリかんれんファイル

■ マッキアイオーリってなに?
■ マッキアイオーリ作品集
■ パウロ2世美術館展でみたマッキアイオーリっぽい作品
■ モディリアーニの先生ファットーリ

(2002.09.13.)(2003.01.23. 点検)(2004.3.14. 見直し/画像入れ替え)

ART INVESTMENT RUSSIA SOVIET ITALY JAPAN