EKAKINOKI

なんでもアリのアート

いまほど、アートが裾野が広い時代はないですよね。なんでもアリ、です。

なんでもアリ、というのには、いろいろな要素があるとおもう。


#1 なにをしてもアートと認められる可能性がある。
#2 分野の垣根が低くなって、あれもこれもアートにできちゃう。
#3 する側と見る側の垣根が低くなった。
#4 ほかの分野にあてはまらない。どこかアートの要素がある。
#5 アーティストがアートだというものに、社会は NO! と言えない。


そもそも、この自由な時代に、なにがアートかなんて決めつける必要もないし、アートだって言われれば、それはアートなんだとおもう。

こんなのアートじゃない、って言われたって、べつにめげる必要もない。アートじゃなくたって、認めてくれるひとがいればそれでいいわけです。

一時代前だったら、ある分野で認められなければ、発表の機会がない、というのがネックでした。

でもいま、インターネット経由で、自宅が世界に直結しています。晩飯のあとにでも、発表してください。

ぎゃくに、じゃあ、アートってなにか、とあらためて問いかけてみるのはおもしろいかもしれません。


こんなの↓どう?

Elisa Bianco

これは、#3 の例?

どこにでもありうるといったら失礼だけど、ただ、だれもそれをアートとは言わなかった。アーティストが「これはアートだ」と、あるシチュエーションのもとで主張したのと、それに答えるべく社会も変容してきた。


これ↓?

#4 の例?

ステファニア・ガレガティの「放射能をおびたちいさなサムライ」は、「若きイタリアのアーティスト大賞」で審査員賞を受賞した。


クリストを登場させよう。

クリストは建物や橋をすっぽり梱包して「循環しているものを遮断することに美しさを感じる*」という。

これは、#1 #5 の例?

カルヴィン・トムキンズは、著書「ザ・シーン(PARCO出版)」のなかで、「現代社会が、アート・リストにあらたな項目を加えたがっているからだ」と述べている。

「産業化社会における近代の梱包妄想にたいする風刺のきいたシュルレアリスム的な批評行為*」だからでも「多くのヨーロッパ人の心をとらえる一種のフロンティア・ロマンティシズムの反映*」だからでも「アートの新しいタイプのはじまり*」だからでもなく、アート・リストにあたらしい項目を社会がつけ加えたがっているからだ。

Fulvio Colangelo

そういえば、ヨゼフ・ボイス(1921-86)は、「すべてがアートでありうる」といってましたよね。

マルセル・デュシャン便器のトラウマから人類は立ち直れないか?(笑)

(2005.05.29)

かんれんファイル

■ クリスト

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