EKAKINOKI

オヤイモ美術家

ヴェロッキオ&ピエーロ・ディ・コジモ


名前はあんがい地味で、作品もあまり残ってなかったりして。

ところがじっさいは、直接的間接的に、いろいろなアーティストの指南役になっている、オヤイモ的な美術家というのがいます。

かれらはたんに実力があるだけではなく、後継者を育てるのがうまいというか、期せずしてヒトを育ててしまうというか、なにかがあるみたいです。


ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435-88)

ヴェロッキオの場合、いまに残る単独作品というのがあまりなく、ほとんどが「工房作」です。

工房主ヴェロッキオは後継者を育てるのがうまく、かれらといっしょにいい仕事をやっていたというくちですね。

仕事はできたが、それ以上に町工場のおやじだったということか。


ピエーロ・ディ・コジモ(Piero di Cosimo 1462-1521)

フィレンツェのオスペダーレ・デッリ・インノチェンティにあるピエーロ・ディ・コジモの作品(アレクサンドリアの聖カテリーナ 1493年)

ピエーロ・ディ・コジモの著明な弟子にはアンドレア・デル・サルトがいます。

アンドレア・デル・サルトからは、ポントルモやロッソ・フィオレンティーノへとつながっていきます。

ピエーロ・ディ・コジモは、結果的にオヤイモ的な存在であったという例?


ジョヴァンニ・ベッリーニ

ベッリーニは、ヴェネツィアの大工房のあるじであったので弟子も多いです。

そのなかにはかのティツィアーノや、のちに修道僧になってしまったロレンツォ・ロットなどがいました。

夭折の天才ジョルジョーネも出入りしていました。


ピエーロ・デッラ・フランチェスカ

いい意味で、すぐれた雇われ技術者。

アレッツォ出身で、ウルビーノ公モンテフェルトロのところでラファエッロのおとうさんらと一緒に仕事をしていました。

すぐれて科学的な頭脳の持ち主で、それを作品に具現していた。

ピエーロ・デッラ・フランチェスカのもとには、アントネッロ・ダ・メッシーナをはじめ、さまざまなアーティストが遠方からも訪ねてきました。

ピエーロ・デッラ・フランチェスカの影響というのもすごいですよね。


(2002.09.04.)(2003.04.02. 点検)(2004.02.24. 画像入れ替え)(2016.04.08 見回り)

かんれんファイル

サンドロやレオナルドのおやぶんヴェロッキオ
庭をボウボウにしてたピエーロ・ディ・コジモ
1400年代ヴェネツィア大工房のあるじ
ピエーロ・デッラ・フランチェスカと幾何学

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