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ルネサンス時代のヴェネツィア工房

Vittore Carpaccio当時の工房(ボッテーガ)は工場(こうば)。

絵だけ描いてたわけではなく、絵画、彫刻、金細工、建築、兵器、インテリア、洋服、、はてはパーティーのプロデュースまで、いろいろやっていた。それぞれの工房に得意分野があったのでしょう。

といっても、、絵画工房があり、建築工房があり、金細工工房があり、という意味ではありません。たとえば「ベッリーニ工房」とかいうのがあって、そこでなんでもこなしていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・絵も描いたけど、戦争道具も作ったし、宴会部長もやった。ミケランジェロもラファエッロも、絵も描いたけど建築もやった。それはなにもダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエッロが天才だったからではなく、当時のアーティストのごくふつうの姿だったのです。(もちろんだれにでもなんでもできるというわけではないけど、、)

イタリア語で「アルテ(=アート)」は「ワザ(技)」です。(「生きる知恵」だって「アルテ」です。はは。)ワザが必要とされるものはすべて「アルテ」であり、工房が請け負っていた。そのぐらい「アート」には幅があった。

そういう工房に、教会や貴族から依頼がきます。仕事の規模が大きいもの、あるいは量をこなすためにも、共同作業、役割分担が必要です。親方が絵の具を溶いているわけにはいかないのです。ルネサンスの巨匠といわれるひとたちは、みな、そういうところで小僧をしながら仕事を覚えていきました。

ヴェネツィアでは、工房は重要な産業のひとつでした。

(以下 Vittorio Sgarbi「Il Sogno della Pittura」より引用訳)

1500年はじめ頃、ヴェネツィアには300以上の工房がひしめいていました。しかし大規模な工房は、そのうちたったの6っつにすぎません。これらの工房は受注先である市のさまざまな組織と複雑に結びつき、教会の庇護のもとに厳粛に受注をこなしていました。国際交流が盛んで、職人芸が非常に重要な位置を占めていたヴェネツィアでは、たくさんの外国人もそこで働いていました。

とうぜん工房間の競争も激しく、大工房の主人ベッリーニ(1430-1516)が「以前ほどでないよ・・。」とこぼす一方で、カルパッチョの聖オルソラ工房は、メッシーナ(1430-79)、ピエーロ・デッラ・フランチェスカ(1416-92)の指導もあって活況を呈していました。個人的依託の色が濃い風俗絵巻のようなカルパッチョの作品は、そういう状況も元で制作されたのです。

(引用おわり)

ルネサンスの役者がそろってますね!いまならさしづめ、、仕事に取りかかる前、向かいのバールでベッリーニやジョルジョーネ(1477-1510)やメッシーナが、エスプレッソをグイとやってた?ティツィアーノなんかはまだ小僧っ子。な〜んか、、コーヒーの香りまで漂ってきそ〜

(2004.12.15. 「カルパッチョ」より分割)

※ コーヒーがヨーロッパに紹介されたのは16世紀なので、カルパッチョやベッリーニはもちろんエスプレッソのおいしさをしらなかった。ちなみにヴェネツィアに最初のカフェができたのが1683年。

※ ファイル中の画像: ヴェネツィアの嘆きの橋(写真提供:山科真白さん)

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