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郵便配達夫シュヴァルのふしぎな城

Facteur Cheval, 1836-1924

南仏オートリーヴにある、郵便配達夫ファクトゥール・シュヴァルのふしぎな城を知っていますか?

ファクトゥール・シュヴァルのふしぎな城は、「ナイーフな建築物」として評価されているらしい。

アンリ・ルソーの絵の建築版みたいなものだ。それはそれでいいさ。


ただ、この城のほんとうのすばらしさは、建築のおもしろさ、とかではないとおもう。


あるとき拾った小石が気に入って、家に持ち帰った。その小石を手にして、いつも思い描いていたあの想像の城を造ろうとおもった。

なにかとくべつな目的があったわけじゃない。造ったからといって、なにか得をするわけでもない。ただそれをしたかった。

夢の中に思い描いたあの城をじぶんの手で造りたかった。

本人もなんだか分からないけれど、好きでおもしろくてやめられないから造り続けた。

それがすばらしい。


もしかすると、それは人生そのものじゃないか?アートじゃないか?!

だれかがおもっているなにか、感じているなにか、でも実際には存在していないなにかを具現化する。それがアートだ。

そういうのは、なにも美術にかぎったことじゃない。音楽だって、文学だって、ひいては政治だって、商売だって、なんにでも、ありうる。

そして、存在していなかったなにかを形にして見せてくれるのがアーティストだ。


ファクトゥール・シュヴァルがすばらしいのは、郵便配達夫がアーティスティックなものを造りあげたからじゃない。

周囲の無理解にもめげず、33年間も続けて成し遂げたからすばらしいんじゃない。

ファクトゥールの建築物が美術的評価に値するからでもない。


できあがったものが、かりに、だれにも分からないものだとしても、ファクトゥールはじぶんが思い描いていたものをその手で造りだした。

ファクトゥールにとってそれで充分だ。

結果的に他人に称賛されれば、それはそれで嬉しいだろうが、でもそれはまたべつのことだ、とファクトゥールはおもうだろう。


なんだろう・・・

とくに大人になると、なにか目的があってやる、目的がなければやる意味がない、みたいになっていないだろうか?

意味がないことでも、ファクトゥールにとっての城造りのように、幸せになれることがたくさんある。

やるかやらないかを決めるのは、意味があるかないか、だけではない。

素晴らしい音楽、素晴らしい絵、素晴らしい文学、素晴らしい人に出会うのは、意味があるからじゃない。心がそれを求めているからだ。


そのことをファクトゥール・シュヴァルは実践してみせてくれた。そのことじたいがアートだとおもう。

(2003.02.10)

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