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アートと科学: ピエーロ・デッラ・フランチェスカ


Piero della Francesca 1416/17-1492(Arezzo)

ピエーロ・デッラ・フランチェスカはトスカーナ地方アレッツォ近郊フランチェスカ村で生まれました。(アレッツォは、彼が生まれるすこし前の1384年、戦争に負けてフィレンツェに併合されています。)

ピエーロ・デッラ・フランチェスカが学んだのはフィレンツェ派の絵画で、1435年ごろよりアシスタントをつとめたドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano, 1410-61)の影響をがおおきいとされます。

Constantine's Dream, c. 1455, San Francesco, Arezzo

さらに、ピエーロのライフ・ワークを決定づけたのに、フランドル派画家たちの徹底した写実主義と、フィレンツェの建築家レオン・バティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404-72)でした。

ピエーロがフランドル派画家たちの徹底した写実表現に出会ったのは、1450年(36才)、リミニ、フェッラーラに旅行したとき。

レオン・バティスタ・アルベルティは、マントヴァのゴンザーガ家に出入りしていました。


1460年代、ラファエッロのオヤジらとともに、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの宮廷で仕事をしていました。

フェデリーコとピエーロ・デッラ・フランチェスカは、お互いを尊敬し合う友人でもあり、ピエーロ・デッラ・フランチェスカはこの時期に数々の傑作を残しています。

フェデリーコの依頼で描いた『理想都市』です。↓

Piero della Francesca

1475年, Galleria Nazionale delle Marche, Urbino

ピエーロ・デッラ・フランチェスカ、レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・かれらが卓越した絵画技術を習得していたのはまちがいありません。

しかし、かれらの直接的な情熱は、どちらかというと、科学的な理解だったのではないでしょうか。

絵画と科学は、おたがいを補完し合いつつ、理解を深めていったのではないでしょうか?

スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)も、なんかタイプが似てる気がする。ハハ


ピエーロ・デッラ・フランチェスカは晩年に視力を失い、なおさら幾何学理論の研究に没頭していたそうです。

ピエーロ・デッラ・フランチェスカは、多くのひとたちに影響を与えたルネサンスの巨星でした。

(2000.12.19. 加筆)(2001.04.07. 点検)(2002.03.18. 加筆)(2002.08.29. 見直し)(2005.05.23. 見回り)

Piero della Francesca

ピエーロ・デッラ・フランチェスカ直筆の遠近法・幾何学などについてメモ。1996年、レッジョ・エミリア地方パニッツィ図書館で見つかった

Piero della Francesca

ピエーロ・デッラ・フランチェスカについての本(Silavana Editoriale

かんれんファイル

■ アレッツォのフレスコ画修復
■ デッラ・フランチェスカ作品はココで見れる
■ ドメニコ・ヴェネツィアーノ(1410-61)
■ オヤイモ美術家
■ アントネッロ・ダ・メッシーナ
■ アレッツォの町
■ ピエーロの友ウルビーノ公モンテフェルトロ

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