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アントネッロはフランドルに行った?行かなかった?

アントネッロ・ダ・メッシーナ
Antonello da Messina 1430?-1479 Messina

1476年, Galleria Regionale della Sicilia, Palermo

アントネッロは、1430年ごろシチリアのメッシーナで生まれた。

はたちの頃、ナポリで絵画修行をしている。当時ナポリとシチリアは両シチリア王国といい、スペイン・アラゴン家下のおなじ国だった。

ナポリは国際都市で、アラゴン家にはフランドルの画家たちが多く働いていた。テンペラが主流だった当時、フランドル派の画家たちはいちはやく油彩をつかっている。

より鮮明、より写実的なフランドル派絵画は、アントネッロの心をつよく惹き付けた。そして、それを可能にしていた油彩技法を習得しようとアントネッロは心に決める。

当時、フランドル派の油彩画法(より正確には油彩具製造法)はまだ企業秘密だった。それをどうやってアントネッロが習得したかについては、さまざまな説がある。

美術史家ヴァザーリは、「アントネッロはフランドル地方まで行った。」と言う。ほんとうに行ったか行かなかったか、いまとなってはやぶの中だ。


行かなかっただろう派

「いったいどうやってあそこまでフランドル派絵画を習得できたのだろう」という信じがたいおもいが、「アントネッロはフランドルまで行った」と言わせたのかもしれない。よくあること。

行っただろう派

いっぽうで、あそこまで気合いがはいっていたのに、ましてや旅慣れたアントネッロが「行かなかった」という理由も見当たらない。

ウルビーノ・モンテフェルトロ公の宮殿では、エイク亡き後、ブリュージュのリーディング・アーティストであったペトルス・クリストゥスに出会っています。知り合いもいたわけです。

Petrus Christus (1410/1420-1475/1476)

そもそも、イタリアにいるかぎり、フランドルの画家たちはどこまでじぶんたちの技術を商売敵に公開していただろう?

(2001.07.23)

アントネッロ・ダ・メッシーナかんれんファイル

■ フランドル派から学んだシチリアーノ
■ アントネッロはフランドルに行った行かなかった?
■ ヴァザーリの美術史どこまでホント?

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