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フランドル派直伝のシチリアーノ

アントネッロ・ダ・メッシーナ
Antonello da Messina 1430?-1479 Messina

アントネッロ・ダ・メッシーナの作品を見ただれもが、そこに、イタイラ・ルネサンスを超越した写実描写を見る。おなじイタリア半島にありながら、ここまでいさぎよく写実に徹したのは、アントネッロ・ダ・メッシーナがフランドル派の影響を受けていたからにほかならない。


Antonello da Messina

1476年, Musee du Louvre, Paris / Photo coutesy of mashiro

アントネッロ・ダ・メッシーナには、ひとつの未解決な逸話が残されている。噂の主は、かのヴァザーリで、アントネッロ・ダ・メッシーナがブリュージュで修行したというのだ。

この謎には、それまでのテンペラ・水彩画法に替わる油彩画の歴史がからんでいる。ここですこし、アントネッロ・ダ・メッシーナの人生を追ってみよう。


Antonello da Messinaアントネッロ・ダ・メッシーナは、シチリア、ナポリで絵画の修行をしました。フランドル地方ブリュージュの画家ジョンが油彩の技法を編みだしたのが、ちょうどこの頃です。

油彩は、フィレンツェ商人の手でフィレンツェ、ナポリなどに入ってきていました。アントネッロ・ダ・メッシーナも、ナポリで仕事をしていた頃、ヤン・ヴァン・エイクの油彩画を見ています。


Jan van Eyck(1390ごろ-1441)作, 1434年 National Gallery, London

アントネッロは油彩画に感動すると、すぐさまフランドル地方ブリュージュに行った。そして油彩画を編みだし、その技法をかたく秘密にしていたジョンに会う。晩年のジョンはアントネッロの情熱にほだされてその秘密を伝授。アントネッロは、ジョンの死にいたるまでフランドル派の技法を学び、のちイタリアに戻ってきた。(ヴァザーリより)

アントネッロ・ダ・メッシーナがほんとうにブリュージュまで行ったか行かなかったかは謎ですが、アントネッロ・ダ・メッシーナは、フランドル派絵画と油彩技法を独自に習得したのはまちがいありません。

アントネッロ・ダ・メッシーナとフランドル派の接点はいくつかありました。

ひとつは、ナポリの統治者であったアンジュー家、アラゴン家には、フランドル派の画家たち雇われていた。もうひとつは、のちにピエーロ・デッラ・フランチェスカと知り合うことになったウルビーノ公フェデリーコの宮廷にも、フランドル派や南仏の画家たちが働いていた。エイクの工房を継いだクリストゥスにもそこで出会っている。

Christus 1410/15-1473


Antonello da Messina

1475年, Musee du Louvre, Paris / Photo coutesy of mashiro

また、アントネッロ・ダ・メッシーナは、どこのだれともわからぬ市井人の肖像画をかなり残しています。当時は、金持ちの注文主が芸術家に作品を依頼するというのがごくふつうのパターンでしたから、無名人の肖像画なんてのは、なんのために?です。

いっぽう、北方ルネサンスでは、当時としてはあまり意味がない主題でもよく描かれました。静物画などもそのひとつです。アントネッロ・ダ・メッシーナは、こういうところでも、フランドル派の影響を受けていた、といえます。


アントネッロ・ダ・メッシーナはかなりの旅行家で、東に西にと、いろいろなところに出没しています。強烈な課題を自身に課し、そのために生きている、たぶん、そんなひとだったのでしょう。

1474-76年、アントネッロ・ダ・メッシーナはヴェネツィアに滞在しています。ヴェネツィアではベッリーニが活躍していたころです。このとき、アントネッロ・ダ・メッシーナが描いた油彩画技法はヴェネツィアの画家たちに大きなショックを与えました。

2年のヴェネツィア滞在後、アントネッロは故郷のシチリア島メッシーナに戻りました。それから3年もしないで、この世を去りました。

・・・・・ 船が港を出てからもうずいぶんと時間がたっている。あらかたの船客は、すでに景色を見るのにあきて船内でくつろいでいる。アントネッロは、手をハの字型にひらいて船べりをしっかりと掴み、いまでは遠くかなたに見えるイタリア本土をみつめていた。ぶあつい外套が風になびく。長い髪。彫りの深い顔。自信に満ちた男の存在感が、その背中に漂っている。 「慣れ親しんだ土地を去る淋しさは、送別の音楽みたいなものさ。ふっきれと、またあたらしい世界への挑戦。いつもその繰り返しだった。そうやってオレは生きてきた。それが、なにか今回はちがう。ひとつ、なにかが終わったような気がする・・・」 ・・・・・

(2000.12.16. 加筆)(2002.08.28. 見直し)(2004.03.20. 見直し)

アントネッロ・ダ・メッシーナかんれんファイル

■ フランドル派から学んだシチリアーノ
■ アントネッロはフランドルに行った行かなかった?
■ ヴァザーリの美術史どこまでホント?

かんれんファイル

■ シチリア・マルタ行
■ 北方ルネサンスの始祖エイク
■ ウルビーノの宮廷画家ピエーロ・デッラ・フランチェスカ
■ ベッリーニ
■ メッシーナのかんたんマップ

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