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政治家シクストゥス4世に雇われたメロッツォ

メロッツォ・ダ・フォルリ
Melozzo da Forli(Melozzo di Giuliano degli Ambrogi) 1438-1494 Forli

ヴァザーリ(1511-74)は、「メロッツォはベノッツォ・ゴッツォリ(1421-97)に似ている。」と記しています。

う〜ん、そうかなぁ。フィレンツェ・リカルディ宮殿の、最近修復されたみごとなゴッツォリ作品などをみていると、あまりそうはおもえないのですが。もっとも、ヴァザーリの時代のひとの目にはそう映ったのかも。

Melozzo da Forli

メロッツォはフォルリという町で生まれました。

それで名前もメロッツォ・ダ・フォルリ。レオナルド・ダ・ヴィンチ村のレオナルドとおなじりくつです。

メロッツォはこのフォルリで画業をはじめ、のちマンテーニャなどとの接触もあったりしますが、作風からすると、ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの宮廷で出会った遠近法の大家ピエーロ・デッラ・フランチェスカの影響のほうが大きいとされます。

ウルビーノ公の宮廷では、当時、ピエーロ・デッラ・フランチェスカ、ルーカ・シニョレッリ(1445-1523)、ジョヴァンニ・サンティ(ラファエロの父)、ベルグエテ(スペイン人)、その他オランダ人画家などが働いていました。

Melozzo da Forli

このウルビーノ公が、教皇シクストゥス4世(在位1471-84年)にメロッツォを紹介して、メロッツォは「教皇おかかえの画家」になります。

教皇シクストゥス4世は、抜きんでた政治力をもって、都市ローマを近代化し、システィーナ礼拝堂、ヴァティカン図書館なども創設したひとです。

マキャベッリは、シクストゥス4世のことを、『教皇にできることの可能性をはじめて試したひと』と表現しています。

Melozzo da Forli

シクストゥス4世は、また、じぶんの甥をミラノ、スフォルツァ家のカテリーナ(1463-1509)と結婚させ、イーモラ、フォルリの領地を与え、メディチ家と対峙しました。

Melozzo da Forli

ところで、そのカテリーナ・スフォルツァがローマで暮らしていた時期(1477-84)と、メロッツォがローマで仕事をしていた時期が重なっています。

(ローマにはそのころ、ペルジーノ、ドメニコ・ギルランダイオ、ボッティチェッリ、マンテーニャ・・などがいました。)

メロッツォはカテリーナ・スフォルツァの領地フォルリの出身で、しかも教皇の仕事をしていました。

いっぽうのカテリーナ・スフォルツァは教皇の甥っ子と結婚していたのですから、メロッツォとカテリーナは当然知り合いですよね?

(2000.12.05. 加筆)(2002.08.27. 見直し)(2004.02.21. 見直し・画像追加)

メロッツォ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/m/melozzo/

※ 写真はいずれもヴァティカン美術館(Musei Vaticani)にて撮影。

かんれんファイル

■ ベノッツォ・ゴッツォリ
■ ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
■ ピエーロ・デッラ・フランチェスカ
■ パッツィによるメディチ家暗殺事件の真相
■ フォルリのかんたんマップ

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