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ヴァザーリの『美術家列伝』どこまでホント?

ヴェネツィアーノ、デル・カスターニョ、メッシーナ、、

Domenico Veneziano左作品(拡大画像つき)は、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあるドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano 1410-61)の作品です。

ヴェネツィアーノは、初期ルネサンスの巨匠ピエーロ・デッラ・フランチェスカの師匠とされます。このヴェネツィアーノ、ヴェネツィアからフィレンツェにやって来ると、またたくまに名をあげました。

これに嫉妬したのがアンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno 1423-57:ファイル中2番目作品)。カスターニョはもともと羊飼いでしたが、絵がうまいのでひろわれてフィレンツェで教育を受けて画家になっていました。

ドメニコ・ヴェネツィアーノ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/d/domen..

嫉妬にかられたカスターニョは、ヴェネツィアーノとちかづきになり、大親友をよそおったのち、機をみてドメニコ・ヴェネツィアーノを殺害してしまうのです。殺害現場に戻ったカスターニョは声をあげて泣叫び、「おお兄弟・・おお兄弟・・」と大芝居をうちました。

すべて・・カスターニョが死に臨んで告白したときにはじめて、加害者がだれだったかあきらかになったはなしです・・・・・と、ヴァザーリ(画家・美術史家 1511-74)が『美術家列伝』に書き残しています。

アンドレア・デル・カスターニョ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/a/andrea..

Andrea del Castagnoこの『美術家列伝』、文章はきれいですし、はなしがとてもおもしろいのです。ヴァザーリは、ストーリー・テラーなんですネ。ところが・・・殺人犯のカスターニョは1457年に死に、カスターニョに殺された筈のドメニコ・ヴェネツィアーノは、カスターニョが死んだ4年後の1461年に死んでいます。殺害者のほうが、4年もはやくペストで死んでいるのです。どうやって殺すの?

ヴァザーリが生まれたのが、このドメニコ・ヴェネツィアーノ殺害事件があったとされる時からちょうど50年後の1511年。ヴァザーリが成人して『美術家列伝』を執筆した時点をとっても、殺害事件があったときから100年にはなりません。

『美術家列伝』にはこんな一節もあります。アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430-79/3番目作品)がヴェネツィアに滞在していたときのことです。

ヴェネツィアに到着したときにアントネッロ・ダ・メッシーナを出迎えて世話をしたのがドメニコ・ヴェネツィアーノとなっています。わかった・・ふたりは大親友だったのですね!ところがアントネッロのヴェネツィア滞在は1474ー75年で、ドメニコは1461年にすでに死んでいる・・・なんなの?

もうひとつ・・・・・ヴァザーリの『美術家列伝』では、当時イタリアではまだ使用されていなかった油彩に興奮したアントネッロ・ダ・メッシーナが、すぐにもフランドルの発明家を訪ねています。そして、拒まれつづけたあげくにやっとのことで『油彩の秘伝』を引き出すことに成功した、とヴァザーリは書いているのですが、アントネッロがほんとうにフランドル地方まで行ったかどうかは疑わしい、とされています。

アントネッロ・ダ・メッシーナが一時期いたナポリのアラゴン家にはフランドルの画家たちが召しかかえられていましたし、また知り合いのピエーロ・デッラ・フランチェスカがいたウルビーノ宮廷にも数多くのフランドル派が出入りしていました。(※1)

Antonello da Messinaたしかに・・・アントネッロ・ダ・メッシーナの作品を見ていると、油彩画法をきわめることに異様なほどの執念を抱いていたのがつたわってきます。しかし、フランドル地方まで行かなくとも、なんらかの方法で油彩顔料は手に入ったでしょうし(作り方まではおしえてくんないでしょうが)、アントネッロ・ダ・メッシーナのまわりを見渡しても、油彩画法をきわめる機会にはコト欠かかなかったとおもわれます。

つい最近まで『絵の具』をつくるのは画家にとって大切な仕事のひとつでしたから、あるいは、油彩画法においてフランドルの画家たちはすでにかなり先をいっていたとおもわれるので、情熱的なアントネッロ・ダ・メッシーナはほんとうにフランドル地方まででかけて行ったのかもしれません。あるいは・・・行こうとして途中で実現しなかったのかもしれない。

ただヴァザーリに関して言えば、当時もあまりはっきりとしていたとは言い難かった事実を、バッサリと「こうだった」とおはなしにしてしまう、そういうとこがあるのです。

「火のない所に煙は立たぬ」・・・・・『ドメニコ・ヴェネツィアーノ殺害事件』もほんとうだったのかもしれません。あるいはドメニコ・ヴェネツィアーノがきら星のごとく有名になったということ、そしてカスターニョがひじょうに嫉妬深い男だったということ以外は、もしかすると『たんなる風評』だったのかもしれません。

ヴァザーリの『美術家列伝』は美術史の古典です。とても貴重な証言であるとともに、ルネサンス美術史研究の『たたきだい』となっています。いったいどこまでが『おはなし』でどこまでが『真実』だったのか・・・・・興味が尽きません。

(※1) ペトルス・クリストゥス(1410-73)など

※ 『美術家列伝』の原題は『La Vita degli Artisti』で、直訳すると『芸術家たちの生涯』。

※ ファイル中の画像:(中)アンドレア・デル・カスターニョ/1449-51/ウフィツィ美術館(フィレンツェ) (下)アントネッロ・ダ・メッシーナ/1474-75/National Gallery(ロンドン)/部分

かんれんファイル

■ ピエーロ・デッラ・フランチェスカ
■ アントネッロ・ダ・メッシーナ
■ ダ・ヴィンチの下絵の上に描かれたヴァザーリの絵

かんれんサイト

■ 『美術家列伝』英語訳(New York City's Jesuit University)
■ The Lives of the Artists(UK)

(2000.12.19.)(2002.08.20. 見直し)(2004.02.24. 見直し)

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