EKAKINOKI

ティツィアーノ Vs ミケランジェロ

Tiziano Vecellio1488年〜1576年・・90年近くも生きながらえたティツィアーノは、ルネサンスの巨匠のなかでも比較的順風満歩と言える生涯をまっとうした画家のひとりでした。しかもさいごまでアーティストとしての精力とみずみずしさを失なっていません。

戦争もしょっちゅうでしたし、世の中がけっして穏やかだったわけではありません。それでもマントヴァのイザベッラにひいきにされたり、神聖ローマ皇帝カール5世(1500-58)に召されたりと・・華やかで力があった頃のヴェネツィア共和国をそのまま象徴するアーティストのひとりであったと言っても過言ではないでしょう。

ティツィアーノは最初ベッリーニ(1433-1516)の工房で働いていました。ベッリーニとジョルジョーネ(1477-1510)は個人的に親しかったので、そういうカンケイからかな・・ジョルジョーネとティツィアーノは意気投合して、一緒に仕事をしたりしています。夭折したジョルジョーネの未完の作品(たとえばヴェネツィア・アッカデミア美術館の『嵐』)に手を加えたりしているのも、ティツィアーノです。ティツィアーノは、生涯ジョルジョーネを師とあがめていました。

上の作品はティツィアーノの名が知られるきっかけとなった、パドヴァのフレスコ画の一部です(Scuola del Santo/1511年)。

1546年、ティツィアーノはミケランジェロ(1475-1564:このひとも89才まで生きました!)とともにローマの市民権を得た、と記録にあります。(たぶん名誉市民みたいなもん・・?)ティツィアーノが58才で、ミケランジェロはすでに71才です。1540年ごろは、ティツィアーノの長いキャリアのなかでもいわゆる『停滞期』とされています。(※1)

ティツィアーノ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/t/tiziano/

Michelangelo Buonarroti Tiziano Vecellio

Michelangelo Buonarroti / Tiziano Vecellio

左はラファエッロが絵のなかに描きこんだミケランジェロ(Palazzi Vaticani, Roma)。右はティツィアーノ晩年の自画像です(マドリード・プラド美術館)。ふたりとも、中途半端な迫力ではありませんね。ミチェランジェロはかなりの自信家みたいですし、ティツィアーノもそうとう頑固そう・・。

このふたりがローマで出会って話をしているうちに(たぶんどっかの飯屋で、とか・・)、やがて絵画に対する基本的な姿勢の違いがあきらかになってきます。ミケランジェロはフィレンツェの画家ですから『デッサン=ものの形=立体感』をなによりも大切にします。一方のティツィアーノはヴェネツィア・ルネサンスの雄・・『色彩イノチ』です。

喧嘩までしなくてもいいのに・・とおもうのですが、しかしこのふたりがいったん喧嘩になったら、ネコもあきれて出てってしまいそうですね。

Tiziano Vecellio(以下想像→)ミケランジェロは太い声で捨てゼリフを残すとアッケラカンと立ち去る。ティツィアーノはステッキかなんかをこうギュウーっと握りしめたまま、ムスーっっと無視するようなかんじで、スススーーーっっと退出した。

どっちが最初に部屋を出たとおもいますか?タッチの差でミケランジェロが先でしょうね・・。あとには、主人公たちがいなくなって閑散としたテーブルと、ヘンな方向を向いたまま置き去られた二脚の椅子。

ティツィアーノにはこれが刺激になったみたいです。ふり払ってもふり払っても出てくるミケランジェロの顔を忘れようと、ティツィアーノはキャンバスに向かってあるかぎりの力を込めます。そしてますますこってりとした色を、じかに指で塗りたくっていました。(当時そんな描き方をするひとはめずらしかった・・。)

※1 1546年ティツィアーノはローマで、教皇パオロ3世とその甥、3人が描き込まれた肖像画を完成させています。(現在ナポリ・カポディモンテ美術館蔵)

※ ファイル中の画像:(下)ティツィアーノ最後の作品『ピエタ(慈悲)部分』:1576年/352 x 349 cm/アッカデミア美術館(ヴェネツィア)

かんれんファイル

■ ベッリーニ
■ ジョルジョーネ
■ ミケランジェロ年譜
■ ティツィアーノとティントレット
■ 地方ごとに特徴があるルネサンス

(2001.10.06. 点検)(2002.09.02. 見直し)(2003.01.15. 見直し)

ART INVESTMENT RUSSIA SOVIET ITALY JAPAN