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染め屋ティントレット

Jacopo Robusti Tintretto 1519-94, Venezia

「自画像」(部分)1588年, Musee de Louvre

ティントレットは、いまからちょうど500年ぐらい前の1519年に生まれた。本名ヤコポ・ロブスティ。

父親が絹の染め職人(ティントーレ)だったので、ティントレットと呼ばれる。


マントヴァのテ宮殿のフレスコ画制作の手伝いをしたのがきっかけで、美術家たちとのつながりができる。

1530年、ティツィアーノ(1488/90-1576)の工房に弟子入りしたが、ほどなく、飛び出す。

とびだしたのか、追い出されたのか、タイムスリップしないとわからない。

ティントレットはティツィアーノの相棒の工房に身を寄せた。

1539年、若干20歳で、じぶんの工房を設立した。


ティントレットが残した仕事は、今日、アカデミア・ギャラリーやドゥカーレ宮殿、そのほかいろいろなところで見ることができる。

しかし、ヴェネチアに行ったら、ティントレットがもっとも多くの時間を捧げた「スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ(la Scuola Grande di San Marco)」は、ぜひ訪れてみたい。

サン・ロッコ信徒会教会は、ヴェネチアでいちばん広いとされる聖ジョヴァンニ・パオロ広場(Campo Santi Giovanni e Paolo)のそばにある。

ティントレットは、あしかけ20年以上(1542-66)、ここで仕事をした。そして、ティントレット作品の大部分がここにある。

ティントレットが名をあげた「奴隷を開放する聖マルコの奇跡(1548年)」・・・現在アカデミー・ギャラリーにあります。


たしかに、仕事をとってくる営業能力はあった。だからか、商売がエゴイとかいうひとたちもいた。

(ティツィアーノにくらべると、ティントレットは金銭的に成功した画家とはいえない。)

しかし、チャンスをいかすだけの腕前もあった。

あれほど力強く動的な描写を、かなり速攻で仕上げるのだから、頼むほうも、頼みがいがある。

ティントレットのあだ名は「イル・フリオーゾ」・・・いま風に言えば、「クレージー!」


ティツィアーノ亡きあと、ヴェネチア美術界をけん引したのは、ほかならぬティントレットと、若き台頭者ヴェロネーゼだった。

(2000.11.18)(2001.10.01. 点検)(2002.09.02. 見直し)

かんれんファイル

ティントレットの人生
女ティントレット
ティントレットがティツィアーノに追い出されたワケ
ティントレットのラザロの蘇生
ティツィアーノとティントレット
マニエリスムってなに?

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