EKAKINOKI

女ティントレット

Marietta Robusti, la Tintoretta, 1554-1590, Venezia

ティントレットは、1553年、34才のときに結婚し、7人のこどもをさずかった。

それとはべつくちで・・・!

ティントレットには、この結婚以前に関係があった女性とのあいだに、ひとり娘がいた。

そう、のちに女ティントレット、「ティントレッタ」と呼ばれるマリエッタ・ロブスティだ。

マリエッタの自画像, uffizi, Firenze

ティントレットは、幼いマリエッタを仕事場に連れて行ったばかりでなく、仕事のてほどきもしたので、マリエッタは、おそらくティントレットが描くように描ける画家になっていた。

(ティントレットのほかにもうひとりティントレットがいたなんて、ワクワクしませんか?!)

彼女は、指名で依頼主から注文も受けていたし、スペインやオーストリアの宮廷からスカウトされていたという。

ただ、おやじが手放さなかった。

ティントレットは、マリエッタに、むしろ、ごくふつうの女の幸せをのぞんでいた。

マリエッタは、その希望にそって、ドイツ人宝石商と結婚する。こどももできたが、夭折してしまった。


マリエッタの筆がはいった作品、あるいはマリエッタ作は、かなりあったにちがいないが、ごたぶんにもれず、女性の作品が時代を超えて残る可能性はひじょうに少ない。

ティントレットの工房を実質的に継いだのはべつの息子ドメニコだったが、画業にたいする評価がのちのちも語り継がれたのは、唯一マリエッタだった。

残念なことに、マリエッタは、30代の若さで逝ってしまった。おやじティントレットとおなじマドンナ・デロルト教会(Madonna dell'Orto)に眠っている。

(2000.11.18)(2001.10.01. 点検)(2002.09.02. 見直し)

かんれんファイル

ティントレットの人生
ティントレットがティツィアーノに追い出されたワケ
ティントレットのラザロの蘇生
ティツィアーノとティントレット
マニエリスムってなに?

ART INVESTMENT RUSSIA SOVIET ITALY JAPAN