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エキセントリックな先生アンドレア・ デル・サルト

Andrea del Sarto: Andrea d'Agnolo 1486-1531 Firenze

アンドレア・ デル・サルトの「サルト」は「テーラー」。アンドレアの親は、クチュリエだった。

Andrea del Sarto

オスペダーレ・デッリ・インノチェンティ(フィレンツェ)にあるデル・サルトの聖母子像

アンドレアが最初に師事したのは、ピエーロ・ディ・コジモ。

Piero di Cosimo 1462-1521

ピエーロ・ディ・コジモがアンドレア・ デル・サルトにつながり、さらにアンドレアの弟子の、ポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノと続くのは、ルネサンス後のマニエリスムの重要な系譜のひとつだ。

この3人は、わけてもアンドレアの弟子の2人は、「エキセントリックな画家」と称されていた。

弟子にくらべると、アンドレアはまだまだおとなしいほうで、美術史家ヴァザーリは、アンドレアを「不可のない(失敗がない)アーティスト」と称した。

そこらへんがアンドレアの優れたことろであり、限界だったかもしれない。

つまり、卓越した画家であるが、それ以上の冒険がないというか、うまくまとめすぎる、というか。

しかし、アンドレアは、1508年にじぶんの工房をもち、当時、ダ・ヴィンチもいない、ミケランジェロもラファエッロもローマにいってしまったあとのフィレンツェ美術界をになった。


1518年、アンドレアは、フランス宮廷に招かれ、ダ・ヴィンチのもとで仕事をしています。

デル・サルトの「最期の晩餐」は、ダ・ヴィンチ他界後の1520年、フィレンツェに戻ってから描いたものです。

Andrea del Sarto

フィレンツェのサン・サルヴィ修道院(Convento di San Salvi)にあるデル・サルトのフレスコ画『最期の晩餐(1520-25年)』 (サン・サルヴィ修道院は8H15-13H50 / 月曜休み)

(2001.06.28)(2002.08.27. 見直し)(2004.02.10. ロッソ・フィオレンティーノの部分切り離し)(2004.10.31. 見回り)

かんれんファイル

400年ぶり!デル・サルトのマドンナ
オヤイモ美術家(ヴェロッキオ&ピエーロ・ディ・コジモ)
ロッソ・フィオレンティーノとヴォルテッラ
2階にあがりハシゴをはずすのがポントルモ流

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